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「お兄ちゃん。」
日曜の午後。
だらしなくベッドに寝そべって漫画を読んでいたミツ夫の耳に、遠慮がちな
ガン子の声が届いた。
「開いてるよ。」
面倒臭そうな返答を受け、ドアが静かに開いた。
入ってきたガン子に視線を向けたミツ夫は、無意識に身を起こす。
ガン子の表情には、どことなく影が宿っているように見えた。
「どうしたんだよ。…なんか、元気ないじゃないか。」
努めて明るい声を出したミツ夫に、ガン子は視線を合わせようとしなかった。
言葉を探すように目を泳がせたのち、独り言のような小さな声でつぶやく。
「会いたいの。」
「誰に?」
問い返したミツ夫に初めて向けたガン子の視線は、どこか遠くを見ていた。
「お兄ちゃんに。」
目を見開いたミツ夫は、返す言葉を見つけられなかった。
自分の言葉が沈黙を生んだ事に初めて気付いたかのように、ガン子はあわてて
両手を大げさに振った。
「あ、ご、ゴメン!お兄ちゃんはここにいるよね。そ、そうじゃなくって。
ゴメン、まちがえちゃった。会いたいのは、パーマン。1号だよ。」
「そうか…」
低い声で応えたミツ夫を気遣うかのように、ガン子は明るさを取り繕った。
「ゴメンね変なこと言っちゃって。気にしないでね。あ、そう。ママがおやつ
用意できたよって。早く降りてきてね!」
返事を待たず、ガン子は逃げるように部屋を出ると階段を駆け下りていった。
後に残ったミツ夫は、ベッドに縁に腰掛けたままうつむく。
「お兄ちゃんに、パーマン1号に、会いたい……か。」
ボソリとつぶやいたミツ夫は、かざした右手をじっと見つめた。
記憶も性格も、完璧なはずだ。
だからこそ、僕はここにいる。
大事な留守を、預かる者として。
だけど。
やっぱり、ガン子には「違う」と感じるところがあるのだろうか。
時々入れ替わっていただけの、あの頃とは違う。
今は、僕がここでの須羽ミツ夫だ。
だけど、あの子には心の奥底で違うという事が感じ取れるのだろう。
妹だから。
そう。
あの子は、ミツ夫くんの妹だ。
僕の、じゃない。
僕は、ミツ夫くんじゃない。
形だけを真似た、ただのコピーだ。
形だけの。
やっぱりそうなのかな、ミツ夫くん。
窓の向こうに視線を向けたコピーは、何度も呼びかけた。
聞こえるはずのない、遠い星の向こうに。
届くはずのない、はるか彼方のミツ夫に向けて。
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数日後。
「ねえ、ミツ夫さん。」
母親の声に振り返ったコピーは、何となく身構えた。
この上、この人にまで疑念を抱かれては自分が留守を預かる意味がない。
そんな表情の固さを読み取ったのだろうか。
続く声は、労わるように少し柔らかくなった。
「どうしたの?怖い顔して。別にお小言を言おうってわけじゃないわよ?」
「あ、そうなの?ゴメンゴメン。」
ホッとしたコピーは、いくぶん表情を和らげて頭をかいた。
「…それで、何だっけ?」
「ガン子ちゃんの事なんだけどね。」
やはり、心配の種はまだしっかりと居座っていた。
ここ2日ほど、コピーはガン子とまともに口をきいていなかった。
別に、口をきかないという事自体は初めてではない。大喧嘩した後などは、
もっと長い間顔も合わせない事もある。
しかし、今回ばかりは少し様子が違っていた。
この間のやりとり以来、明らかにガン子は自分を避けている。
特に怒っているような素振りはないし、言い合いをしたわけでもない。しかし
ガン子は意識的に自分と距離を置こうとしていた。
ばれているはずはない。それならもっと大きな騒ぎになるはずだ。
おそらくガン子自身も、何に不信感を抱いているのかは分からないだろう。
パーマン1号が、みんなの前から姿を消したという事。
それが、自分とミツ夫と、そしてガン子との関係を変えたのかもしれない。
ミツ夫になりきる自信はある。
しかしガン子の、幼いゆえに鋭い感受性は何かを感じ取っている。
説明のできない違和感は、何よりも彼女自身を苦しめているようだった。
「ちゃんと、接してるつもりなんだけどな…」
「え?何ですって?」
ぼんやり物思いにふけっていたコピーは、無意識につぶやいた言葉を問われて
ハッと我に返った。あわてて手を振る。
「あ、いやいや!何でもないよ。それで…ガン子がどうしたって?」
語尾にわざとらしさを感じたのだろう。母親は、どことなく探るような目で
じっとコピーを見据える。しかし、それも一瞬だった。
「あの子、何となく最近元気がないでしょう?…どのへんがって言うと難しい
けど…。」
ちょっと言葉を切ったその視線が、不意にまっすぐコピーを捉えた。
「ひょっとして、あなたたち喧嘩でもしたの?」
「してないよ。」
コピーは即答した。
不機嫌そうな声を投げられ、母親の顔にわずかな狼狽が浮かぶ。
「そ、そう。…それならいいんだけど…ミツ夫さん?」
遠慮がちな響きになった問いかけを無視し、コピーは背を向けた。そのまま
居間を出て自室に向かう。
母親も、それ以上何かを問いただそうとはしなかった。
階段を上がりながら、コピーは唇を噛みしめた。
(……あなたたち、喧嘩でもしたの?……)
できるわけがないじゃないか。
僕は、ミツ夫くんじゃないんだ。
形だけを写し取ったコピーロボットだ。
たとえ、すべての記憶を持っていたとしても。
僕には、ミツ夫くんの魂はない。
ガン子、いやガン子ちゃんと喧嘩できるだけの勇気もない。
この不在は、いつもの出動の時みたいな留守番とは違う。
いつ帰ってくるかも分からない、長い長い空白。
僕の仕事は、アリバイを作るだけじゃない。
いつ帰っても大丈夫なように、ミツ夫くんの人生を代わりに築いていく事だ。
彼が過ごすように、日々を過ごす。
彼と同じように感じ、彼と同じようにすべてと接する。
それが、今の僕の仕事だ。
そんな事は、留学が決まった時から分かっていたはずじゃなかったのか。
当たり前の事として。
「分かってるよ!」
吐き捨てるようにつぶやいたコピーは、乱暴に自室のドアを開けた。
そのまま中に入り、後ろ手にドアを叩きつけて閉める。
すぐ後ろでガン子が、じっと見つめていたのには気づかなかった。
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さらに数日が過ぎた、土曜の午後。
開いただけの宿題を投げ出し、コピーはちぎれ雲が流れる秋空を見上げた。
今日も、何事もなく過ぎた。
朝は遅刻しそうになって先生に叱られ、カバ夫とサブにからかわれた。
休み時間には、ユキちゃんに朝起きのコツを教わった。
珍しく、帰りにはミッちゃんと少しだけ言葉も交わした。
当たり前で他愛もなく、そしてとても楽しい会話。
みんな、自分を須羽ミツ夫として当然のように接してくれている。
自分のやるべき事も、いるべき場所もはっきりと見えている。
だけど。
ガン子とだけは、どうしてもミツ夫のように接する事が出来ないでいた。
何が足りないのか。
どうして、彼女が自分と距離を置こうとするのか。
相変わらず、答えは見出せないでいた。
「……お兄ちゃんに……パーマン1号に、会いたい………か。」
どっちも、自分には難しすぎるお願いだ。
自分は、そのどちらでもないのだから。
そう。僕は、形だけのコピーなんだから。
これまで、そんな風に思った事はなかった。
これほど長くコピー相手の代理を務めた経験が、一度もなかったからだろう。
いつまで続くか分からない、この、コピーとしては満たされ過ぎている時間。
そして、ガン子との埋まらない距離。
考えた事もない、自分というものの意味と向き合う時間。
「…僕には、難しすぎるよ。」
なあ、ミツ夫くん。
何となく椅子を後ろに傾けていたコピーは、不意にバランスを崩して後ろに
ひっくり返った。はずみで、背後の収納棚の上に積んであった漫画本が一斉に
ドサドサと落ちてくる。
あおむけに倒れていたコピーの顔を、何冊もの本が容赦なく連打した。
「…痛てててて。」
鼻をさすりながら、コピーは横に転がった。
以前なら、これだけ鼻を強打すればたちまち元の姿に戻っていたところだ。
しかし、今ではそんな事にはならない。別れる際にミツ夫自身の手で施された
コピーロックは、彼かバードマンでなければ決して解除する事は出来ない。
大変だからといって、自分はミツ夫をやめる事は許されない。
身を起こそうとしたコピーは、ふと目の前の収納棚に目を向けた。
一番下にある取っ手をそっと掴み、ゆっくりと開く。
かつて、自分はここでミツ夫がボタンを押すのを待っていた。
ミツ夫として起動するのを。
ミツ夫として学校に行くのを。
ミツ夫としてママに叱られるのを。
また、自分自身としてユキと会うのを。
この、暗いスペースに戻りたいと思う事はなかった。
今みたいに。
視線を落としていたコピーは、やがて収納スペースの暗がりに手を伸ばした。
黙って中を探り、やがて小さな塊を取り出す。
濃い青色をした、小さなマユ上の物体。
軽く指先でこねると、それは音もなくパーマンマスクへと膨張した。
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「おい、ガン子。いるんだろ?」
軽いノックと共に、くぐもった声が響いた。
しばらくの沈黙の後、入口のドアが少しだけ開かれる。
半分だけ顔を覗かせたガン子は、遠慮がちな視線でコピーを見上げた。
「…なあに?」
「あのな。」
一瞬だけ視線を合わせたコピーは、つとめて何気ない声を出した。
「…さっき、偶然パーマン1号に会ったんだよ。」
言いながら、チラッとガン子の顔をうかがう。
まん丸な瞳が大きく見開かれるのに気付き、あわてて視線を天井に向けた。
「1号、今までどこにいたって?」
「新しい任務を受けて、遠くに行ったんだってさ。しばらくは帰れないような
遠いところだよ。今日は、他のパーマンに用事があったんで、少しの間だけ
帰ってきてるらしいよ。」
自分でもおかしくなるほど、コピーはスラスラと答えた。
この部屋を訪ねる前に、嫌というほど練習してきた言葉だった。
「それでな、お前が会いたがってるって事を言ったんだよ。」
黙って聞き入るガン子の視線に少し気圧されながらも、コピーは続けた。
「時間がないって言ってたけど、少し話をするくらいなら出来るってさ。」
「…ホントに?」
初めてドアを全部開け、ガン子は声を高くした。
確認するかのようなその問いかけに、コピーはためらいながら頷く。
「…ああ。少しだけだけどね。」
「じゃあ!」
不意に、ガン子はコピーの右手を取って部屋に引っ張り込んだ。そのまま
窓際まで行って外の景色を見上げる。
小さな指で指し示す方角に、高層マンションが見えた。
「あそこの屋上で会いたいって伝えて!!」
「何だって?」
コピーは、不審と不安の入り混じった声を上げた。
「どうしてわざわざあんな所で…?」
「お願いね。」
相変わらず見開かれた目で訴えかけられ、コピーは弱々しく頷いた。
「…わかった。じゃあ、出かける支度しろよ。僕も1号に連絡するから。」
「うん!」
明るい声で応えたガン子を残し、コピーは部屋を辞した。
自室に戻り、後ろ手にゆっくりとドアを閉める。
ベッドの上に投げ出した、マスクの紺とマントの赤が鮮やかに目に映った。
手にとった感触は、何度か被った事のあるパーマンマスクそのものだ。
しかし、これは本物ではない。
ずいぶん前、パーマンを勝手に増やそうと考えたミツ夫が自分の機能を使って
複製した形だけのコピーセットだ。
パーマロゲン発生能力も飛行能力もないと分かり、ほとんどはその時捨てた。
しかし、小さく収縮させる機能だけはあることが偶然にも分かった。
もしかしたら、何かの役に立つかも知れない。2人でそう考え、相談した末に
ひとつだけ残しておいた。
そのまま、今日まですっかりその存在を忘れていた。
形だけの、コピーのパーマンセット。
今の自分には、重い言葉だった。
しかし、逃げるわけにはいかない。ガン子を納得させる事も出来なくて、今後
ミツ夫として彼の代理を務める事など出来るはずがない。
一度でいい。
パーマン1号に会いたいという願いを聞けば。
ガン子との関係も、少しは自然になるかも知れない。
ちょっと唇を引き結んだコピーは、セットを収縮させると立ち上がる。
廊下に出たのは、ガン子とほぼ同時だった。
「行こう。」
先に立って階段を下りるコピーに、ガン子は黙って続いた。
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駅前の賑わいから少し離れたところにある、高層マンション。
構造が古いため、一般人でも中に入る事が出来るという珍しい建物だった。
パーマン達も、ここで一息入れる事がしばしばあると聞いている。
エレベーターの前まで来たコピーは、隣に立つガン子に向き直った。
動きを感じて振り返ったガン子を見下ろして口を開く。
「…じゃあ、先に行ってろ。僕はすぐに1号を呼んでくるから、危ない事は
絶対にするんじゃないぞ。いいな?」
「分かった。」
素直に頷いたガン子の目の前で、クリーム色の扉はゆっくりと開いた。
乗り込んだガン子を乗せたエレベーターが昇っていくのを見送り、コピーは
ゆっくりとポケットを探る。
(落ち着け。)
自分に言い聞かせるように、コピーは声を殺してつぶやいた。
こんな事は、これまでにもあったはずだ。
アリバイ作りに比べれば、やる事は単純だ。
しかし、責任は比べようもないくらいに重い。
大丈夫。出来るはずだ。
きっと、ガン子を納得させてみせる。
それも、留守を預かるコピーの使命のはずだ。
ポケットの中で収縮したセットを強く握りしめ、コピーは隣のエレベーターの
ボタンを押した。
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屋上には、下では想像もできないくらいの風が吹いていた。
錆びの浮いた柵にもたれかかって眼下の街並みを見つめるガン子の髪を、風が
時おり乱していく。
どのくらい経っただろうか。
「ガン子ちゃん。」
背後からの呼びかけに、ガン子は勢いよく振り向いた。
階段に続く、灰色の扉のすぐ近く。
緋色のマントをはためかせながら立つパーマン1号が、笑みを向けていた。
「…パーマン1号!」
笑みを浮かべて駆け寄ろうとした、その刹那。
何かに勘付いたかのように、ガン子はぴたりと足を止めた。
1号―コピーとの間に、どことなく不自然な距離が残る。それ以上、ガン子は
近づこうとはしなかった。
「どうしたんだい?」
つとめて平静を装うコピーの問いに、ガン子は答えなかった。
やがて、ゆっくりと立ち方を変えて口を開く。
「…パーマン1号って、今どこにいるの?」
「ここにいるじゃないか。」
「…う、うん。」
即答したものの、ガン子の顔には納得した気配はなかった。
「遠くに、また行っちゃうの?もう、そばにはいてくれないの?」
今さらながらに、コピーは己の存在の軽さを呪った。
ばれたとは思わない。
しかしガン子は、本物は違う何かを感じ取っているのだろう。
幼いゆえに、ものの本質をハッキリと見極めてしまう純粋な洞察力。
―何とか、ごまかせるだろう―
コピーは、自分の考えの甘さを痛感していた。
やっぱり。
僕は、形だけを真似たコピーロボットだ。
たとえ見た目が、ミツ夫くんとまったく同じだとしても。
彼の記憶を持っていようと。
彼のようには、振る舞えない。
短く、そして重い沈黙の後。
「…わかった。」
口を開いたのは、ガン子の方だった。
「じゃあ、ひとつだけお願いをきいて。一度だけ、ほんの少しだけでいい。
あたしを乗せて空を飛んで。…それくらいなら、いいでしょ?」
訴えるような目で見つめられ、コピーは返答に窮した。
そうか。
そのために、こんな高い場所を指定したのか。
できないとは、言えない。
第三者から見れば、それほど無茶なお願いというわけでもない。
これまでだって、何度かやってきた事だ。
だけど。
今の自分にとっては、あまりにも難しい言葉だ。
自分は、兄では、ミツ夫ではない。
まとっているのも、形だけのコピーセット。
自分は、パーマンでもない。
目の前に立っている僕は、まがいものなんだ。
言葉にできない思いに苛まれ、コピーは悄然と立ち尽くしていた。
「…それも、ダメなの?」
少しうつむいたガン子の言葉には、相手を責める響きはなかった。
ただ、深い失望があった。
背を向けたガン子は黙って柵の方まで歩いていった。高層マンションにしては
ここの柵は低い。小柄なガン子でも、脇を入れて乗り出す事ができた。
「…もう一度だけで、良かったんだけどな……」
言葉を見つけられないコピーに背を向けたままつぶやき、ガン子は柵に両手を
かけて鉄棒のようにぶら下がろうとした。
耐えかねたコピーが、何か言おうと歩み寄りかけた刹那。
不意に、それまでで最も強い横風が吹き抜けた。
思わず体勢を崩してよろめいたコピーの耳に、甲高い悲鳴が届く。
「キャアァッ!!」
確かめるまでもない。
声の主はガン子だった。
別に柵を乗り越える気などないのは、素振りから見ても分かっていた。
おそらくは、弾みをつけてちょっとぶら下がるつもりだったのだろう。
しかし、軽く勢いをつけて足を浮かした瞬間、強風が駆け抜けた。
パラシュートのようにその風をはらんだスカートは、小さ過ぎるガン子の体を
勢いよく巻き上げて柵の外側まで一気に押し出したらしかった。
「ガン子ちゃん!!」
悲鳴のように裏返った声を張り上げ、コピーは駆け寄った。
柵をとっさに掴んだガン子の指は、あまりに小さく弱い。体重を支える事など
何秒もできるものではない。
コピーの手が届く前に、ガン子の指は力尽きた。
時は、信じられないくらいにゆっくりになった。
宙に浮いたガン子の小さな体は、まるで舞っているようにも見える。
見開いた目は、確かに自分を見ていた。
落下の始まる瞬間。
「ガン子ッ!!」
それまで抱いていた全ての理屈を忘れ、コピーはコンクリートタイルを蹴って
虚空へと身を躍らせた。
パノラマのように広がる、街の上。
飛び出した2つの影は、逆光の中にあった。
風の音が、遠く耳を切り裂いた気がした。
飛び出したコピーの手が、目の前で落下せんとするガン子の手を掴む。
小さな体を抱き寄せたコピーは、そのまま自分の体を下に向けようとした。
その行動に、迷いはなかった。
僕はどうなってもいい。
この子を、助けて。
大切な、とっても大切な妹なんだ。
誰の?
僕の、だよ。
そうじゃないって事は、分かってる。
充分に分かってる。
だけど、この子を大切に思う気持ちは、僕の中に間違いなくあるんだ。
それは、ミツ夫くんの気持ちをそのままコピーしたものなのかも知れない。
ただの、コピーの感情なのかも知れない。
確かに、そうかも知れない。
だから何だって言うんだ?
大事に思う気持ちが、僕の中にあるっていう事。
それは本当だ。
根拠なんか、何でもいいじゃないか。
僕はこの子に、幸せになってもらいたいんだ。
たった一人の、兄として。
形だけの、まがいものかも知れない。
だけど、それでも僕のすべてを懸ける。そんなに安くはないだろ?
すべてと引き換えていい。だから、この子だけは助けてくれ。
一心に念じながら、コピーはふとおかしくなった。
人間はこんな時、一瞬の間にすごくたくさんのことが頭をよぎるらしい。
走馬灯って言うんだっけ?
ほんのわずかな時間が、ものすごく長く感じられる現象だと聞いた事がある。
今の、この感覚がそれなのかな。
まさか、機械である自分にそんな感覚が生まれるなんてね。
なんだか、変な感じだよ。
かたく目を閉じていたコピーの耳が、ふと遠くから響くカラスの声を捉えた。
……カラスの声?
そんなはずはない。
もしも、自分の感覚が異常になったために落下の時間が長く感じられるなら、
音だけが普通に聞こえるはずはない。
…一体、どこまで落ちたんだ?
おそるおそる目を開いたコピーは、息を呑んだ。
目の前には、青空があった。
ガン子の体をしっかり抱きしめた自分の体は、マンションの屋上よりもさらに
高い所に静かに滞空していた。
「ブービー?…パー子さん?」
反射的に、コピーは自分の周囲を見回した。
どちらかがこの光景を目撃して、とっさに助けてくれたのかも知れない。
しかし、自分たちの周りにあるのは青空だけだった。
しっかりと抱いていたガン子は、腕の中で失神していた。
「…………?」
コピーは、風にはためくマントに視線を向けた。
かすかに、光を放っているように見える。
同じ光を目の周りにも感じた。
マスクが発光しているせいだと分かるまでに、少し時間がかかった。
意識を集中させたコピーは、虚空で身を翻した。
軽やかに反転したその体が、一気にマンションの屋上へと降下する。
やがて、コピーの足はふわりとコンクリートタイルを捉えた。
マスクとマントの発光が、次第に強くなっていく。
同時に、その輪郭はだんだんと光の粒となって崩れ始めていた。
そんなマスクの縁から、コピーの流した涙が伝った。
屈み込んだコピーの腕の中で、光に照らされたガン子がかすかに目を開ける。
焦点の定まらない視線が、コピーの顔を捉えようとしているのが分かった。
「…お、お兄ちゃん……?」
「ああ。そうだよ。」
笑みを浮かべながら、コピーは優しい声で応える。
その言葉に、ガン子はにっこりと笑みを返した。
やっと聞きたかった言葉を聞いたというように、安心した顔で目を閉じる。
再び意識を失って体重を預けた小さな体を、コピーがしっかりと抱き止めた。
風に流れる光となったコピーセットは、やがて空の彼方へと散って消えた。
たった一度の、小さな奇跡を遺して。
形だけのコピーなんかじゃ、ないんだよ。
いや、たとえそうだとしても。
その中に、本当の心を込める事はできるはずだ。
コピーのパーマンセットにだって、できた事なんだ。
それなら。
「僕にだってできるはずだ。」
空に向かってつぶやいたコピーは、自分の言葉の中にミツ夫を感じていた。
彼方にいる、もう一人の自分の声を。
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もぞもぞと顔を上げたガン子は、目の前に会った髪の毛に鼻をくすぐられた。
たまらず、大きなクシャミをする。
「わっ!!」
出し抜けに響いた間抜けな悲鳴で、ガン子は完全に目を覚ました。
その時になって、初めてどんな状況にいるのかに気付く。
自分が身を任せているのは、兄の背中だった。
「…あれ?お兄ちゃん?」
「あれ?じゃないよホントに。無茶もほどほどにしろよ?」
少し首を回したコピーは、ちょっと口を尖らせてみせた。
「ええっと……。あたし、どうなったんだっけ。」
「屋上から落ちそうになったのを、パーマン1号に助けられたんだよ。」
面倒臭そうに説明したコピーは、ちょっと立ち止まるとガン子の足に回した
腕の位置を整えて背負いなおした。
「しばらく戻れないから、あんまり面倒起こすなって言ってたぞ。いいな?」
「はあい。」
素直に応えたガン子は、あらためてコピーの首に両腕を回した。
「おい!…苦しいってば。お前、ちょっと重くなったんじゃないか?」
大げさにのけぞるコピーにお構いなく、ガン子はさらに強くしがみ付く。
「そんなことないよぉ。…お兄ちゃんの背中も、ちょっと広くなった?」
「知らないよ。さ、早く帰ろう。……歩けるか?」
首を回して問いかけたコピーが見たのは、嬉しそうな笑顔だった。
「このままおんぶして行って!」
「わかったよ。」
やれやれといった感じの笑みを返し、コピーは再び歩き出した。
夕暮れの駅前から、喧騒がかすかに届く道。
家路を辿る兄妹の影は、どこまでも長く、茜色に伸びていた。
================【完】=================
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