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雑踏の中。
人々の流れに逆らうようにして、スミレは早足で歩いていた。
幾度か、すれ違う人の肩にぶつかり、よろめいた。
謝罪もそこそこに、また歩く。ひたすらに、さっき見た影を追い求めて。
マンハッタン島にそびえる摩天楼、ニューヨーク。
あらゆる種類の人々を受け容れ、包み込み、飲み込んでいく世界最大の都市。
スミレにとっては何度か仕事で訪れたことのある見知った街。さらに、かつて
超能力戦士サイコマンと戦うために皆で乗り込んだ事もある、思い出深い場所
でもあった。
しかし、今のスミレにとっては見知らぬ異郷だった。
新曲のミュージッククリップ撮影のために訪れたのは5日前だった。
思いのほか天候にも恵まれ、順調に撮影は終わった。日程に余裕もあったため、
最終日は終日フリーになった。久し振りにのびのびできる時間を手に入れた
スミレは、思う存分この街の散策を楽しむつもりでいた。
あの影を、雑踏の向こう側に見かけるまでは。
最後に見た時から、もう何年経ったか。すぐには思い出せなかった。
背丈はずいぶん伸びていたし、顔立ちも記憶よりずっと精悍だった。
でも、あれは確かにミツ夫だった。
自分が、ミツ夫を見間違えるはずはない。
アーミージャケットのような服を着て、厳しい顔であちこちを見回していた。
(似た人かもしれない…)
そんな疑問は、その人物がジャケットの襟元に顔を近付けたのを見たときに消えた。
襟の内側部分には、深緑色のバッジが付けられていた。
はっきりとは見えなかった。だけど、間違いない。かつて、自分が愛用していた
パーマンバッジだった。
気が付いた時、スミレはなかば走るようにしてその影を追いかけていた。
雑踏の中に再び溶け込んでしまった、ミツ夫の影を。
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歩いていった方向は確かにこっちだった。しかし、見失ってからかなり経つ。
もう、いないのかも知れない。
それとも、最初からいなかったのかも知れない。
スミレの足は止まった。
(あれは、やっぱり見間違いだったの…?)
紛らわしい影を目にしたばかりに、余計な失望を味わう羽目になってしまった。
何だか無性に腹立たしくなったスミレは、踵を返してもと来た道を引き返そう
とした。
その時。振り向いた視線の片隅に、あの影が再び小さく飛び込んだ。
通りの向こう側に、紛れもないミツ夫が立っているのが見える。
あの前髪のハネ。もう間違いない。
(ミツ夫さん!)
駆け出そうとしたスミレは、喉まで出かかった声を呑み込んで立ち止まった。
ミツ夫は、一人の女性と言葉を交わしていた。
背格好や年齢は自分と同じくらいだろうか。金髪で、上品な顔立ちの女の子
だった。雑踏の中小声で何かを話し合っているらしく、時折彼女の口元に耳を
寄せているのが見える。
スミレの目には、その姿はとても親しげに映った。
身を潜めることも忘れ、スミレは街灯の脇に立ち尽くして通りの向こうの
遠すぎる光景を見つめていた。
考えるべき事が多すぎた。
なぜ、ミツ夫がこのニューヨークにいるのか。
なぜ、自分の所に帰還を告げに来ないのか。
その女性は、一体誰なのか。
何のために、自分はここにいるのか。
何のために、自分は何年もミツ夫を待ち続けていたのか。
これから、何をすればいいのか。
何を信じればいいのか。
すでに頭は空回りの域を越えていた。
通りの向こうのミツ夫は、立ち尽くすスミレには全く気付くことなく
金髪の女性と肩を並べて足早に歩いていった。
躊躇の時間は短かった。
何にも確かめないままで帰る事なんて、出来るわけがない。
そんな浅い気持ちで、自分は何年も待ってたわけじゃない。
スミレは、一気に通りを渡ると再びミツ夫たちの後を追った。
思いのほか、2人は早足だった。見失わないようになかば走りながら
追ううちに、いつしか雑踏は遠ざかった。
人通りの少ない細い路地に入った2人を追ったスミレは、急いで角を
曲がったところで進退窮まった。
2人の姿は消えていた。そんなに間を空けたつもりは無かったのに、その
姿はなかった。
(じっとしてたらいよいよ見失っちゃうわ。)
スミレの行動は早かった。そのまま、迷うことなく路地を進む。次の角を
曲がったところで、自分の判断の早さに感謝した。
ミツ夫の姿は相変わらず無かったが、あの女性が路地沿いの小さな店に入る
のがチラリと見えたのだ。もう一瞬遅れていたら、気付かないところだった。
店の前まで来たスミレは、薄汚れたウインドーから中をうかがった。何だか、
リサイクルショップかアンティークショップか、あるいはただのガラクタが
投げ込まれた空き家か、判断のつきかねる店だった。
(とにかく、ちょっと入ってみよう。)
無謀ともいえる勇気を奮い起こし、スミレはペンキの剥げた扉をそっと押して
中に入った。
予想通り、照明は何も点いていなかった。煤けたウインドー越しの日差しが、
陰鬱な光を室内に投げかけている。
「エ…エクスキューズ、ミー……」
小さな声を店の奥に向けて投げかけてみた。店主は居なさそうだけれど、少なく
ともさっきの女性がここに入っていったのは確かだ。
ふと、背後に気配を感じた。
振り向く間は無かった。気付いたときには首に腕を回され、羽交い絞めに
されていた。
「何だてめえは?この星の人間か?それとも、忌々しいあのガキの手先か?
こんなとこにまでノコノコ来やがって。俺になんか用なのか?」
下卑た口調のダミ声が、直接頭に響いてきた。やっとの事でかすかに首を
回したスミレの目に、見知らぬ男の顔が映った。生気の無い、青白い顔。死んだ
魚のような、濁った目が自分を睨んでいる。
悪寒が走るのが感じられた。
と、その時。店の奥に通じるカウンター奥の入り口から、先ほどの女性が姿を
現した。自分と男の姿を目にすると、一足飛びにカウンターを飛び越える。
人間とも思えないその跳躍にスミレは思わず見とれた。しかし、傍らの男は
最初から予測していたかのように間髪を入れずに声を張り上げた。
「妙な真似してんじゃねえぞコラ。それ以上近付いたらこの女の喉掻っ切って
やるぜ。大人しくしてな。木偶人形野郎!」
見ると、いつの間に取り出したのか、男の右手には奇妙なカーブを描いたナイフ
状の刃物が握られていた。
「木偶人形」と呼ばれた女性は、そのまま立ち止まった。しきりにこちらを
伺っているが、付け入れる隙などはなさそうだった。
「どこの誰だか知らねえけど、いい人質が手に入ったぜ。どうやらこの木偶とは
関係なさそうだな。変に首突っ込むからこういう事になるんだぜ、バカ女!」
そう言った男の下品な笑い声は、途中で詰まったように不意に途切れた。
代わりに、空気が漏れるようなかすかな音がする。
首をねじって横を見たスミレの目に、舌を突き出して目を白黒させる男の顔が
飛び込んできた。よく見ると、その首は誰かの右手で締め上げられていた。
「バカ女ってのは誰の事だ?聞き捨てならないな、ズファッシュ。」
自分の真後ろで、別の声がした。
低い、押し殺したような声。
だけど、確かに聞いたことのある、懐かしい声。
何だか、理解を超えた事態が次々と目の前で展開していて全然ついて行けない。
しかし、声の主が誰なのか、それだけははっきりわかった。
(ミ、ミツ夫さんなの…?)
心の中で呟いた。まだ、声にする勇気はない。スミレは混乱し切っていた。
「妙なマネするなよ。その右手、ちょっとでも動かしたらこの首このまま
ねじ切るぞ。マスクを被ってなくとも、そのくらいの事はできるんだからな。」
凄みを利かせたその言葉に、スミレの方が初めて恐怖を覚えた。
目の前の事態のめまぐるしさに混乱して全く実感していなかったが、自分は
死の一歩手前の危険な状況に晒されているのだ。
恐る恐る視線を落とす。依然ナイフは自分の胸に向けて突きつけられていた。
そのまま、数センチ突き立てられれば終わりだ。
ここまで来て。ミツ夫の顔も見ずに、死ぬ。
自分の背後、この男の体一つ隔てた所に彼は立っているというのに。
スミレは目まいを必死にこらえた。
と、凝視していたナイフの切っ先が不意に角度を変え、自分の顔に向いた。
思わず目を閉じようとしたその瞬間。
バキッという鈍い音が耳元で響いた。埃にまみれた床に、何かの塊が落ちて
足元に転がる。
視線を落としたスミレが見たのは、信じ難い物体だった。
さっきまで下卑た口調で話していた男の首。
もともと生気のなかったその目は完全に白濁していた。中途半端に口をあけた
ままの虚ろな顔が、目の前の床に転がってかすかに揺れている。
ある意味、自分が刺されるよりもショックな事態だ。
悲鳴をあげようとしたスミレは、ふと奇妙な現象を目にして「首」を凝視した。
鮮血が溢れるはずの傷口に、青いスパークと火花が散っているのが見える。
虫の羽音のようなかすかな機械音と共に、その首は細かに痙攣していた。
やがて、傷口に何かゲル状の物体が滲み出してきた。
かすかに発光しているようにも見えるその物体は、外に出ると震えながら何か
意味のある形状に固まっていく。
なんとも醜悪な、しかし間違いなく生物の形だ。
「妙な真似するなっていっただろ。乗り物が台無しになったな、ズファッシュ。」
背後から聞こえたミツ夫の声でスミレはハッと我に返った。
同時に、目の前の事態が少しだけ把握できた。
(この男、ロボットだったんだ。この変な生き物が中で操ってたのね。)
「ズファッシュ」と呼ばれたその生物は眼球とおぼしき金属球をこちらに
向けた。表情のない顔。しかし、そこに表現を超えた憎悪と殺意が宿っている
のはスミレにもわかった。再び、悪寒が襲う。
と、その体の一部分に赤い光の点がついたのが見えた。レーザーサイトの
ポインタに似た光だ。
それに気付いたのだろう。「ズファッシュ」は不意に態勢を変えると、意外に
俊敏な動作で飛びかかって来た。自分、いや、自分の背後めがけて。
しかし、いくらも飛び上がらないうちに白い光に包まれた「ズファッシュ」は
数秒で結晶化し、そのまま足元に落ちた。
見ると、何かの装置がついた円筒形の結晶の中に、ゲル状の肉体が封じ込め
られているのがかすかにわかる。
「これでよし、と。」
先ほどとはうって変わったかのように明るい調子で、背後のミツ夫が呟いた。
横を見ると、いつの間にかミツ夫の右手にはスタンガンのような奇妙な装置が
握られていた。おそらく、これがあの結晶を作り出す装置なのだろう。スミレは
何とかそれを理解した。
不意にその腕が視界から消える。背後のミツ夫が体を大きく引いたらしい。
と、今まで自分を羽交い絞めにしていた「体」が音を立てて脇に倒れた。
「首」を失って硬直したその体はすでにマネキンのように不自然な物体と
化していた。弱々しいスパークがかすかに首もとに走っている。
急に支えを失ったスミレは、同時に張り詰めていた気持ちが緩んで大きく
よろめいた。後ろに倒れそうになった体を、大きな胸が受け止める。
「大丈夫か、パー子?」
両肩をそっと掴んで支え、ミツ夫が静かに尋ねた。
自分の思考能力をかなり超える事態の連続になかば放心状態だったスミレは、
その言葉で一気に現実に立ち戻った。
パー子。
自分の一番嫌いな、そして一番好きな呼び名。
パーマンを辞めてからは失ってしまった名前。そう呼ばれなくなって、一体
どのくらい経ったかはっきりとは思い出せない。
その名前を、自分の名前として呼んでくれるのは。
スミレは、ゆっくりと首を回して背後を見た。
そこには、襟元につけられた深緑色のパーマンバッジがあった。
前は、自分とほとんど同じ背丈だったのに。
ずいぶん背が伸びたのね。
少し見上げたスミレの目に、懐かしい顔が映った。
須羽ミツ夫。
ずっと待ち続けていたその顔が、懐かしそうな笑みをかすかに浮かべて自分を
見ていた。
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「久し振りだね。」
そのままの姿勢でミツ夫は言った。
「ええ。お久し振り。おかえりなさい、ミツ夫さん。」
体重を預けたまま、かすかに笑みを浮かべてスミレも静かに答えた。
こうして目を合わせると、それまでどんなに動揺していても不思議なほど
落ち着く。何度も経験したことのある感覚だった。
今がすべて。そんな気持ちがあらゆる事に勝るからだ。
たとえ、次の瞬間にミツ夫がいなくなるとしても。
たとえ、ミツ夫が誰か他の女性と一緒にいたとしても。
そこまで考えたスミレはハッと我に返り、慌てて正面に視線を戻した。
すっかり忘れてしまっていたが、あの女性は?
相変わらず、そこに立っていた。
警戒を解いたらしい姿勢で、自分とミツ夫の前に当たり前のように立っている。
その顔は驚くほど無表情で、何の感情も読み取れなかった。
そんな彼女と目を合わせたスミレは、ばつの悪さからパッと飛び退いた。
気持ちが混乱していたとはいえ、ミツ夫との関係もわからないのにいきなり
抱擁じみた場面を見せ付けてしまった。
怒り出すとか睨み付けるとか、何かリアクションをぶつけてくれた方がずっと
救われたかも知れない。
すっかり所在をなくしたスミレは赤くなって口ごもりながら、ミツ夫に助けを
求めた。
「あ、あの…、ごめんなさい。あたしそんなつもりじゃ…。その、こちらは?
かわいい方ね。あの、ミツ夫さんの…お友達なの?」
しどろもどろなスミレの言葉を怪訝そうに聞いていたミツ夫は吹きだした。
「誤解するなよ、パー子!」
そう言って女性のほうに向き直ったミツ夫は、早口で命令した。
「ご苦労だったな、078。ズファッシュは確保したけど、まだ何か所持品が
残っているかも知れない。ほかの部屋をしっかり調べてくれ。」
機械的な動作でうなずいた「078」は、踵を返すと再びカウンターの奥へと
消えた。相変わらず、スミレには何の興味も示さないままに。
「ぜ、078?名前が数字なんて変わってるのね。もしかして…宇宙人なの?
あの人…。」
不思議そうに訊ねるスミレに、ミツ夫はかぶりを振って答えた。
「いや、ロボットだよ。CCR−078。カスタム・コピーロボットだ。」
「コピーロボットだったの?でも…誰の?」
スミレは驚いて思わず「078」の出て行った方向を見た。しかし、言われて
見れば素振りや表情に機械的な部分があった気がする。
「誰の、っていうわけじゃない。あの姿はもともとプログラムされてるんだ。
地球での作戦遂行用にね。あれは、鼻を押した相手をコピーする能力は持って
いない。何十種類かの知的生物のデータが初めから組み込まれてて、その中
から姿を選んで起動させるんだよ。地球人のデータは5〜6種類入ってる。」
床に転がった「ズファッシュ」の結晶を拾い、彼の潜んでいたロボットの残骸に
転送用のチップを付けながらミツ夫は説明した。
「すごいのね。あたしの知らない間に、コピーもずいぶん進歩したんだ…。」
感心したようにつぶやくスミレに、ミツ夫は機械的に答えた。
「逆だよ。あれは、僕や君や、ブービーなんかが使ってたコピーロボットより
ずっと旧式で、性能も単純な量産型なんだ。」
意外な言葉に、思わずスミレは振り返った。
ミツ夫は慣れた手つきでロボットの残骸に付けたチップを操作すると、転送
スイッチを入れた。一瞬の発光と共に、体も首も消えた。どこかへ収容したの
だろう。
膝を突き、スミレから視線を逸らせたままミツ夫は抑揚のない言葉をつないだ。
「僕らのコピーロボットはボタンを押した人間の全てをコピーする機能を
持っている。だからこそ、僕のコピーはいまだに僕としての人生をちゃんと
送ってくれている。でもCCRシリーズの電子頭脳はロボットそのものだ。
会話も思考回路も単純だし、感情は一切持っていない。それに…」
ちょっと言葉を切ったミツ夫はゆっくりと立ち上がり、膝についた埃を払い
ながら言った。
「それに、一度起動させたらもう二度とは使えないんだ。何をするのもたった
一回きりなんだよ。」
「一回きり?」
スミレは、何だか聞いてはいけない話を聞いたような気がした。
一度きりの命。そんな過酷な運命を背負わされたコピーロボットが量産されて
いるなんて。
自分にとってコピーロボットは無二の親友であり、なんでも相談できる、そして
どんな悩みや苦しみも受け止めてくれる母親のような存在でもあった。
だけど、CCRと呼称されるあの女の子の存在意義は根本的に違う。
バードマンとしての使命の困難さ、厳しさから生み出されたものなのだろうか。
「じゃあ、ミツ夫さんも何度か使ったことがあるの?その、CCRっていう
コピーを…」
「ああ。」
相変わらず、視線を逸らせたままでミツ夫は答えた。
「彼女で11体目だ。これまでの任務で、いろんな用途に使ってきた。僕の
同期の仲間にはその3倍以上使ってるやつもいるよ。表現は悪いけど、みんな
使い捨てのコピーだって割り切ってる。」
あまりにも重い言葉だった。
(あなたも、使い捨てだって割り切ってるの?)
スミレはためらいがちに口を開こうとした。
しかし、話はそこで打ち切られた。捜索を終えたCCR−078が再び戻って
来たからだった。
「ご苦労。何か見つかったか?」
問い掛けるミツ夫に、078は黙っていくつかの奇妙な装置を差し出した。
「やっぱり隠してたか。これは…通信機だな?あとはさっきのロボットが使う
武器の類だな。これだけって事はないはずなんだけど…。」
抑揚のない声で言ったミツ夫はしばし考えた後、それらの押収品を再び078
に預けて言った。
「まあいい。とりあえずこれらの所持品は収容しといてくれ。それから…」
言いながらミツ夫は、先ほど回収した「ズファッシュ」の結晶をポケットから
取り出し、それも預けた。
「こいつも拘束ユニットの中に収監しておいてくれ。このままでも大丈夫
だけど、念のためだ。じゃ、頼むぞ。僕は後から追いつく。」
小さく頷いた078は、そのまま入り口の方へと向かう。
スミレは、ドアを開けて出て行くその姿に何かしらやるせなさを覚えていた。
相変わらず、何の感情も感じられない素振り。
地球での任務が終わったら、その短い一生を終えるのか。
その過酷な運命に押しつぶされないために、感情を持たされなかったのだと
したら。
あまりにも悲しすぎる存在だった。
「さて。」
いきなり肩を叩かれたスミレは、ビクッと身をすくませた。
いつの間にかミツ夫はすぐ傍らに立っていた。
さっきまでとおなじ、屈託のない笑顔。
しかし、何だか遠い別人のように思えた。
再会の嬉しさは、いつしかどこかに消えてしまった。
あるのは、やるせなさと、ミツ夫に対する小さな怯えだった。
スミレの動揺に気付く素振りもなく、ミツ夫は言葉を続けた。
「一応、任務はひと区切りだ。とりあえず、送っていくよ。色々話したい事も
あるからね。」
そう言ったミツ夫に曖昧な笑顔を返しつつ、スミレは小さく頷いた。
「そ、そうね。あたしにも色々と…。」
口調から、ミツ夫が地球に帰ってきたわけではない事は察していた。
多分、あの「ズファッシュ」という宇宙人を捕まえる任務で一時的に戻った
だけなのだろう。
すぐにまた行ってしまうのかも知れない。
だったら、今の内に伝えなければならない事はできる限り伝えないと。
だけど、何を?
何を話せばいいんだろう。
今のミツ夫は自分の知ってるミツ夫とはあまりにも違う。
パーマンを辞め、一人の非力な地球人として暮らしてきた自分の、何を話せば
いいのだろうか。
ミツ夫が開けてくれたドアを出たスミレは、午後の日差しに目を細めた。
遠くに聞こえる街の喧騒が、何だか寂しげに耳に響いた。
====================================
かすかに、結晶が震えたような感触があった。
不可視迷彩を施した円盤のもとへ急いでいた078は、立ち止まって手の中の
「ズファッシュ」の結晶を確認した。
別に、変わった様子はない。
しかし、ミツ夫に受け取った時とは少し色合いが変化しているように見える。
発光している?
様子を確認するために結晶を目の高さまで持ち上げたその瞬間。
078は青白いスパークに包まれ、そのまま崩れ落ちた。
スパークはほんの一瞬だった。端から見れば立ちくらみを起こしたようだった。
一人の大柄な黒人男性が近付き、声をかける。
「おい、あんた。大丈夫か?どうした?」
軽く肩をつかんでゆする。依然、078はピクリとも動かなかった。
と、次の瞬間。
黒人男性は、信じ難いほどの力で突き飛ばされ、そのまま歩道を転がった。
突き飛ばされた事を怒るのも忘れ、彼はあっけに取られた様子で目の前の
その女性を見た。と思う間もなく、あたふたと立ち上がると腰を押さえて
走り去る。
何か、計り知れない狂気のようなものを感じたからだった。
体の動きを確認するかのようにゆっくりと立ち上がりながら、078は毒づいた。
「汚ねえ手で触ってんじゃねえよ。」
誰を、ともなく睨みつけるその目は、先ほどまでからは考えられないくらいの
強い感情を宿していた。
憎悪と、殺意という感情を。
「このままでも大丈夫、だと?見くびりやがってあのガキが。あんな程度のセーブ
ポインターでこの俺を拘束したつもりだったのか?」
言葉を切った078は、荷物の中身を確認すると酷薄な笑みを浮かべた。
「まあ、いいだろう。おかげでこんなあつらえ向きの体が手に入ったからな。
気に入ったぜ。あとは、あいつらの始末だな。忌々しいバード星のガキと、
あの地球人のバカ女…。ま、今に見てろ。」
悪意に満ちたその言葉は、ひときわ大きなダンプカーの通過音に掻き消された。
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手の中に収めたバッジの感触を楽しみながら、スミレは懐かしそうに言った。
「ホントに、あたしのバッジだわ。あたしがつけちゃった引っかき傷まで、
そのまま残ってる…。よく今まで持っててくれたわね。」
並んで歩くミツ夫は、照れくさそうに首筋を撫でた。
「物持ちがいいってよくからかわれるけどね。あっちではバッジってのは携帯
電話みたいなもんで、色々と新機種も作られてるんだけど…。やっぱりこれで
ないとどうにも手に馴染まないもんでね。」
「うれしいわ。」
素直な気持ちだった。ミツ夫が地球を離れた時、バッジを交換したのはなかば
衝動的な行為だった。ミツ夫自身もかなり面食らったに違いない。
だけど、何年も経った今も、彼はこのバッジを肌身離さず愛用してくれている。
やっぱりこの人は、間違いなくミツ夫さんなんだ。
つまらない事にこだわるのはよそう。
そう思ったスミレに顔を向け、ミツ夫は少し声のトーンを落としていった。
「だけど僕が預けたバッジは、パーマンを辞めた時にバードマンに取り上げ
られたんだよね、確か…。」
「取り上げられた、なんて言い方はバードマンに失礼よ。それでなくても色々
無理を聞いてもらってるんだから、わがままは言えなかっただけ。
でも、いいの。バッジは手放したけど、代わりに同じくらいステキなものを
もらったから。」
イタズラっぽく笑ったスミレに、怪訝そうな表情でミツ夫が訊ねる。
「素敵なもの?誰に?何を?」
「だーめ。全部秘密!別にいいでしょ。秘密の一つくらい!」
そう言ったスミレは正面を向き直ると足取りを早めた。
予想通り、ミツ夫はじりじりして追いすがってきた。
(こんな風に一度でいいからじらしてみたかったのよね!)
「ねえ、教えてよ!気になって任務に戻れないよ!」
明るさを取り戻して早足になったスミレの肩を、じれたミツ夫の右手が掴んだ。
存外に、強い力だった。
痛みで思わず顔をしかめたスミレの脳裏に、だしぬけに先刻の場面が浮かんだ。
素手のミツ夫が、力任せにねじ切ったロボットの首。
白く濁った、虚ろな目が虚空を見据えていた。
思わず、スミレは小さな悲鳴を上げると力いっぱい肩の手を振り払った。
そのまま立ち止まると、ミツ夫に背を向ける。
動悸は、なかなか収まらなかった。
「ゴ、ゴメン!つい力が入っちゃって。まだ地球の重力に完全に馴染んでない
もんだから…」
ミツ夫の謝罪の言葉は、遠く響いた。
(そうじゃないの。あなたが謝ることじゃないのよ。)
何とか取り繕おうと思ったが、言葉が出てこなかった。
ミツ夫は、強くなっていた。
もちろん、パーマンの総本山ともいうべきバード星で訓練を積んだのだから
当たり前の話だ。
しかし、その力はスミレの想像を遥かに越えていた。
マスクを被らないままでも、ロボットの首を、それも片手でねじ切る怪力。
おそらくバードマンに変身した時のパワーは想像を絶するものに違いない。
かつて散々生意気を言って困らせていたあのバードマンも、実は途方もない
実力を持っていたのだろう。
彼はいい。もともと遠い星の人だから。
だけど、ミツ夫は。
もともと、自分と同じただの小学生だった。パーマンになった時も力は互角。
いや、自分の方が強かったかもしれない。
だけど、今では彼はまさに超人だ。そして自分は、何の力もないただの人間。
おそらくミツ夫は、今日に至るまでに数々の死闘を潜り抜けて来たに違いない。
その中で、理屈の通じない「敵」を何度も葬ってきたのだろう。
さっき自分の肩を掴んだ、その手で。
別に嫌悪する事でも何でもない。むしろ、それはバードマンとしての誇りだ。
そして、彼を想う自分にとっても誇るべきことのはずだ。
だけど、理屈でわかっていても、どうしても触れられると体がすくんでしまう。
自分がミツ夫を恐れるなんて、会えない時には考えもしなかった。
そばにいるこの時に、何光年離れているかわからなかった今までよりミツ夫を
遠く感じるなんて。
素肌につけたロケットが、今さらながらに冷たく感じられた。
あまりにも重い沈黙が流れた。
傷つけてしまったと感じたミツ夫にも、言葉が見つからなかった。
どうすることも出来ない沈黙に、2人はただ立ち尽くしていた。
沈黙は、意外な形で破られた。
スミレが持ったままだったパーマンバッジが、突然けたたましく鳴り出したのだ。
遠慮がちに差し出したバッジを受け取ったミツ夫は、顔を引き締めると応答
する。その表情は、たちまち厳しくなった。
「どうしたの?」
バッジを切ってゆっくりと襟元に付け直したミツ夫に、スミレがそっと訊ねる。
「078からだ。」
向き直ったミツ夫は、依然けわしい表情を崩さずに答えた。
「ズファッシュに仲間がいたらしい。人質を何人か取って、さっき捕獲した
ズファッシュとの交換を申し入れてきた。」
「申し入れてきた、って…どうやって?」
怪訝そうに訊ねるスミレに、ミツ夫は慌ただしく説明する。
「さっき、あいつのアジトで押収した所持品の中に、通信機があったんだよ。
それを通じて、078が脅迫を受けたらしい。時間と場所を指定してきたけど、
発信場所の探知は出来なかったって。
僕一人で来いとさ。どうやら目的は僕の命と、バードマンセットだな…。」
踵を返そうとしたミツ夫に、スミレが慌てて声をかける。
「ちょっと待って。それがわかってて、みすみすやられに行くの?そんなの
あたしが承知すると思う?あたしにも何か手伝わせて!」
振り返ったミツ夫は、しばしスミレの顔をじっと見た。かすかな笑みが浮かぶ。
「ありがとう。でも、今の君はもう普通の女の子だ。危険な目に遭わせる
わけにはいかないよ。何かあったら僕自身も生きてられないからね。」
悔しさが込み上げたスミレは、直立したままうつむき、じっと涙をこらえた。
こんな時に、何も出来ないなんて。
だけど、確かにミツ夫の言う通りだ。自分が居たって、足手まといになるだけ。
必死に涙をこらえるスミレの表情に、ミツ夫の声は優しくなった。
「そんな顔するなよ。とりあえず、078を呼び戻そう。彼女に頼んで、君を
ホテルまで送らせるから。今夜あたり、この街のどっかで騒ぎが起こるかも
しれない。お守りを渡しとくけど、くれぐれも無茶しようなんて考えるなよ。
いいね。」
噛んで含めるようなミツ夫の言葉に、反駁の余地はなかった。スミレは小さく
頷いた。
「よし。じゃ、まずは078と合流しないとな。」
ミツ夫は素早くバッジを外した。
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30分後。
先ほどの店の前で078と合流したミツ夫は、今後のことを手短かに指示した。
「078はパー子を彼女のホテルまで送って行ってくれ。ズファッシュの仲間の
狙いは僕一人らしいから、その方がかえって安全だろう。僕は、その仲間って
のを本部に問い合わせて調べてみる。それと、無駄かも知れないけど捕まった
人質の捜索も出来る限りしてみるよ。」
そう言って、スミレのほうを見たミツ夫はつとめて明るい声で付け加えた。
「心配しないで。きっとうまく切り抜けてみせるから。全部片付いたら今度
こそゆっくり話そう。約束だ。」
「ええ。気をつけてね。」
スミレは小さく頷いた。ミツ夫も軽く頷くと、もう一度078に声をかける。
「じゃ、頼んだぞ。彼女を送り届けたら、指示された取り引き場所に来い。
そこで落ち合おう。」
相変わらず無表情に頷いた078は、スミレの脇に回ると静かに彼女を促した。
最後にちらりとミツ夫を一瞥したスミレは、意を決したかのように正面に向き
直った。そのまま、振り返ることなく078と歩調を合わせて足早に去っていく。
その後ろ姿を見送ったミツ夫も、やがて踵を返して歩き去った。
078の歩調はどんどん早くなった。なかば小走りになったスミレは、息を
切らせながら遠慮がちに声をかける。
「あ、あの…。もうちょっとゆっくり歩いてくれないかしら。」
聞こえたのか聞こえなかったのか、078が歩調を緩める気配は全くない。
と、そのジャケットのポケットから紙切れがこぼれ落ちるのが見えた。
後ろを歩いていたスミレは反射的に立ち止まり、しゃがんでその紙切れを拾う。
「ねえ、カスタムコピーさん!これ落とし……」
言いつつ立ち上がったスミレは思わず数歩下がった。いつの間にか、自分の
すぐ目の前に078が立っていたのだ。息づかいが伝わるほどの距離だった。
「な、何?あの、これ落としたわよ。」
答えない078の顔に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。
ぞっとするような酷薄な薄ら笑いだった。
と、スミレは不意に自分と078の周りに丸い影が落ちたことに気付いた。
振り返って空を見上げたスミレに、考える間はなかった。
視界いっぱいに、鈍く光る大きな影が浮かんでいた。
====================================
夜の帳が下りた、ブルックリンブリッジ。
普段なら人と車がそこかしこに見えるこの橋に、ミツ夫は一人で立っていた。
周りには人一人、猫一匹いない。
そのかわり、橋の両岸では大きな混雑が起きていた。まるで見えない壁に
遮られるかのように、誰一人橋を渡ることが出来ないのだ。車も、橋の手前
まで来るとひとりでにエンストしてしまう。
余計な犠牲者を出さないように、ミツ夫が橋全体にバリヤーを張って人払いを
したためだった。迷惑はかけるが、怪我人が出るよりはよっぽどいい。
約束の時間はすでに10分過ぎていた。
腕組みしたミツ夫の足元を、一陣の強い風が吹き抜ける。マントが小さく
はためいた。
と、視界の片隅に動くものが感じられた。ゆっくり振り向いたミツ夫は、その
影を確認すると小さく頷いて手招きする。さっき別れた078だった。CCR
シリーズは初めからバリヤーシステムと同調しているため、難なく潜り抜ける
ことが出来るのだ。
「ご苦労。パー子は?無事に送り届けてくれたか?」
「はい。」
機械的に答え、078は言葉をつないだ。
「相手は、まだですか?」
腕組みしたまま空を見上げたミツ夫は、視線を泳がせながら答えた。
「ああ。…遅いな。ズファッシュの仲間ほどの奴なら、こんなバリヤーなんか
無いも同然のはずだ。そろそろ来てもおかしくは無いはずなんだけどな。
ひょっとするともう既に来ていて、どこかでこっちを窺ってるのかもしれない。」
078に背を向けたまま、ミツ夫はゆっくりとあたりを見渡して呟く。
「そうですね。…大いに考えられることです。」
その語尾には、奇妙な響きがあった。漠然とした、悪意。
ただならぬ気配を感じて振り返ったミツ夫は、間一髪のところで突き出された
ナイフをかわした。それでも、スーツの脇腹の一部が切り裂かれた。
「何をする!」
一喝したミツ夫が伸ばした腕をかわし、跳躍した078はそのまま欄干の上に
着地した。
さっきまでとはうって変わった下品な笑い声を響かせて。
「相変わらず勘のいいガキだな。もうちょっとだったってのによ!けどまあ、
別に焦ることはねえか。てめえはゆっくりいたぶり殺してやりてえからな!」
脇腹を手で押さえながら、ミツ夫は毅然とした口調で言った。
「お前、もしかしてズファッシュか?078と融合したんだな?確かに…
結晶拘束してやったはずなのに。」
薄ら笑いを浮かべた078はからかうような口調で言った。
「察しがいいじゃねえか。あんな程度の拘束じゃ、俺を縛ることなんて出来や
しねえんだよ。どうだ、ひとつ勉強になったか?若僧が。」
相変わらず078を睨みつけながら、ミツ夫が言葉を返す。
「じゃあ、仲間がいたってのも全部嘘だったんだな。僕をここに呼ぶための…」
言いつつ、顔をしかめて膝をつくミツ夫。脇腹の傷は、予想以上に深かった。
そんなミツ夫を見下ろしながら、078は楽しむように言葉をつないだ。
「当たりめえだろ。俺は仲間なんてのはつくらねえ性分なんだ。何故だか
わかるか?ああ、今のてめえならわかるだろ?こういう事態になるからさ。
仲間なんてのはいくら信じてみても足を引っ張るか、裏切るかのどっちかだ。
この木偶人形にしても、てめえが惚れてるあのバカ女しても、な!」
うずくまっていたミツ夫は、最後の言葉にハッと顔を上げた。
「バカ女、だって?まさか…パー子のことか?彼女をどうしたっていうんだ!?」
「知らねえな。」
しらっとした顔で横を向いた078は、やがて大声で笑い出した。
「まあ、こんなイカした体をくれたてめえに免じて、まだ殺してねえって事
だけは教えといてやるぜ。所詮は死ぬのも順番だ。てめえの屍を見せつけた
後で、俺がこの手で後を追わせてやる。感謝するんだな。」
「貴様…!」
怒りに満ちた目で078を見据えつつ、ミツ夫は立ち上がった。そんなミツ夫に
動じることなく、078は言い放つ。
「どうあがこうと、てめえの負けは決まってるんだよ。いいからそのマスクを
脱いで足元に投げろ。人と話をするのに顔を隠したままってのは失礼じゃ
ねえか?さっさとしねえと何人か人質が死ぬぜ。」
有無を言わせない口調だった。短い沈黙の後、ミツ夫は黙ってマスクを脱ぐ。
そのまま、そのマスクを足元に落とした。
「そうそう。いい子だ。何て言ったか…敗軍の将はいさぎよくってやつか?」
体をよじって大笑いする078の真横で、不意に大きな水柱が上がった。水中
から飛び出した物体が、鋭い軌道を描いてミツ夫の目の前に静止する。
黒光りする、鉛色の鉄塊だった。その形状は、強いて表現するなら巨大な蟹と
言ったところだろうか。ブーンという低い駆動音を響かせながら滞空していた
「それ」は次の瞬間、ミツ夫目掛けて右側のアームを叩き込んだ。
避ける間も、防ぐ余裕もなかった。重すぎる一撃を喰らったミツ夫の体は、
橋の中間の構造材を破壊しながら吹き飛んでいく。全く減速することなく橋の
反対側まで転がっていったミツ夫は、そのまま欄干に激突した。
衝撃で、橋がかすかに震えたような感覚が伝わった。
軽く鼻を鳴らした078は、軽やかに欄干から飛び降りた。ポツンと残された
ミツ夫のバードマンマスクを手に取り、勝ち誇ったように言い放つ。
「ガキが生意気に出しゃばるからこういう事になるんだぜ。アドバイスを2つ
くれてやる。1つ。切り札は最後まで取っとくもんだ。そして2つ。仲間なんか
信用するとバカを見るだけだ。あの世でゆっくりおさらいしとくんだな!」
下卑た笑い声が、誰もいないブルックリンブリッジに響き渡った。
と、かすかな風切り音を耳にした078は素早くあたりを見渡した。
直後、いやにはっきりした声が届いた。真上からだ。
「アドバイス、ありがとう。だけど、賛成できるのは1つ目だけだな。」
反射的に078が飛び退いたのと、黒い「影」が到達したのとはほぼ同時だった。
耳を聾する轟音と共に、橋全体が大きく振動した。
同じ場所に滞空していた蟹状ロボットの右のアームが、根元近くから一気に
押し潰される。想像を絶する上からの圧力はアームを引きちぎり、そのまま
橋の中央の部材ををえぐって浅いクレーターを作った。
振動と衝撃が収まった時。
クレーターの真ん中に、1つの影が立っていた。
たった今、一撃を喰らって吹き飛ばされたはずのミツ夫だった。黒光りする
マスクの奥で、厳しい光を宿した目が078を見据えている。
「て、てめえ、何でだ!?確かに今、止めを刺してやったはず…」
そう言った078は、先ほど欄干に激突したミツ夫の方を見やると舌打ちした。
そこには、すでに元の姿に戻った薄紫色のCCRが転がっていた。いたる所が
ひしゃげ、ヒビが入っている。
「あれも木偶人形だったってのか。ガキのくせに生意気な小細工しやがって…。」
その言葉には答えず、ミツ夫はゆっくりと傍らに視線を移した。
片腕を失いつつ、ロボットは何とか姿勢を立て直し、滞空を続けている。
「やっと切り札を出したな。これがお前の盗んだスタンピードガンナーか。
まさか川底に隠していたとはね。どうりでいくら探しても見つからないはずだ。」
その言葉を聞き、078は歯ぎしりした。
「セーブポインタの出力をわざと弱めたのも、俺をこの木偶人形に預けたのも、
全部俺に切り札を出させるための作戦だったってのか…?ホントに忌々しい
奴だぜ、てめえは…!」
078に向き直ったミツ夫は、ゆっくりと言い放った。
「察しがいいな。そこまでわかってるんだったら、観念したらどうだ?さっき
までのやり取りと本部の照会で、お前に仲間がいない事は確認済みだ。今さら
足掻いてもしょうがないだろう。おとなしく人質を返せば、情状酌量の余地は
あるぞ。」
憎悪に満ちた目でミツ夫を睨みつけていた078は、フッと酷薄な笑みを
浮かべた。低く呟くように言葉を返す。
「味な真似するな。畏れ入ったぜ。だけど、まだ勝負は終わったわけじゃねえ。
てめえにそのガンナーが破壊できるか?」
依然として滞空を続けるスタンピードガンナーを一瞥したミツ夫は、軽く指を
鳴らしながら答えた。
「試してみようか?」
そんなミツ夫の素振りを見た078は、含みのある笑い声を上げると言い放った。
「そういう意味じゃねえよ。確かにてめえのパワーならそいつをスクラップに
するくらい簡単なことかも知れねえ。だけど、いいのか?後悔する事になるぜ。」
「どういう意味だ?」
まっすぐ078の目を見据えたミツ夫の言葉に、真っ向から睨み返した078は
ゆっくりと言葉をつなぐ。
「人質がどこにいるか、教えて欲しいだろ?そいつの腹の中だ。予備燃料用の
格納スペースの中に、全員押し込めてあるんだぜ。もちろん、あのバカ女もな。
確かに、破壊するのは簡単だろう。だけど、中にいる人質に傷1つ付けずに
動きを止められるほど、スタンピードガンナーは甘い代物じゃねえんだぜ。」
「何だって…。」
向き直り、拳を固めたミツ夫に対し、078は再び勝ち誇ったような笑い声を
浴びせる。
「だから言ったろうが。切り札は最後まで見せるな、仲間なんて信用するなっ
てな!てめえの小細工もこれまでだ。」
ひとしきり爆笑した078は、相変わらず自分を睨み据えるミツ夫を改めて
見下ろし、押し殺した声で言った。
「さて、今度こそお仕置きだ、マスクを脱いで足元に置け。俺をコケにした
罰を受けさせてやる。」
重い沈黙が流れた。やがて、ミツ夫はゆっくりとマスクを取ると足元に落とす。
さらに、胸に着けていたバッジも外す。
「心がけがいいじゃねえか。あの世でママにでも誉めてもらうんだな。じゃ、
今度こそ、あばよ!」
078が手元の小さな装置を操作すると同時に、スタンピードガンナーは
残った左のアームを高々と振り上げる。
その前に立ち尽くすミツ夫は、バッジを口元に運ぶと小さく呟いた。
「いいぞ。もう遠慮するな。」
その言葉が終わるか終わらないかの内に。
低くくぐもった、爆発のような音が響いた。
音源はわからない。しかし、腹の底に響くその音は橋をかすかに振動させ、
水面をもわずかに揺らした。
その音は、立て続けに鳴り響いた。
何度も何度も。
「な、何だ!?何をしやがった、てめえ?」
依然、立ち尽くすミツ夫を見やった078は、奇妙な事象を目にした。
轟音が響くたび、ミツ夫の目の前に滞空しているスタンピードガンナーが
痙攣するかのように不自然に跳ね上がる。
美しい曲面を描いた外部装甲が、音のたびにどこかしらひしゃげる。
まるで、中から食い破られているかのようだった。
「多分、消化不良だろうな。」
ゆっくりとマスクを被りなおしたミツ夫は、事もなげに答える。
ひときわ大きな音と共に、ついに外部装甲に亀裂が入った。次の轟音が
響くと同時に、大穴がパックリと口を開ける。
再びバッジを口元に運んだミツ夫は落ち着いた口調で問い掛けた。
「人質は何人だ?…わかった。全員、一気に外へ投げ出してくれ。…
大丈夫。全部受け止める。僕を信じろ。」
言い終わったミツ夫がバッジを付け直すと同時に、装甲板の大穴から
7人の人間が一斉に投げ出された。サッと目で薙いだミツ夫は宙に
飛び出すと、目にも留まらない速さで全員を受け止め、離れた所に
軟着陸する。
数秒にも満たない早業だった。
無残な形にひしゃげた装甲板は、だめ押しのキックによって吹き飛ばされた。
その後を追うように、1つの影が軽やかに飛び出す。
様子を見守っていたミツ夫は、不意に飛んできた装甲板を危うくかわした。
そのまま装甲板は欄干に激突し、とんでもない音を立てる。
肝を冷やして肩をすくめたミツ夫の前に、赤い影が音もなく舞い降りた。
「だから無茶するなって言っただろ?僕を殺す気かい!?」
呆れたようなミツ夫の声を受け、影はゆっくりと立ち上がった。
濃紺のマスクに緋色のマント。
そして、胸には真紅のパーマンバッジ。
かつての1号のパーマンセットをまとったスミレが、イタズラっぽい笑みを
浮かべてちょっと舌を出し、言った。
「あら、ごめんなさい。久し振りなもんで、つい体が熱くなっちゃって!」
078は、目の前で起こった事態に呆然としていた。やがて、その目に憎悪と
怒りが宿る。
「てめえ…、パーマンだったのか!何もかもぶち壊しにしやがって!」
臆することなく078に向き直ったスミレは、とぼけた表情を浮かべて言った。
「あら、言ってなかったっけ?それは失礼!改めて自己紹介して差し上げるわ。
あたしはパーマン3号。」
ちょっと言葉を切ったスミレは、笑みを浮かべると高らかに言い放った。
「パー子って呼んでちょうだい。」
内部から徹底的に破壊されたスタンピードガンナーは、すでに放電を起こして
細かく痙攣していた。次第に滞空高度も下がりつつある。機能を停止するのも
時間の問題だった。
「勝負あったな。こっちの切り札を甘く見たお前の負けだ。あきらめろ。」
スミレの傍らに立ったミツ夫は、静かに言い放った。
スミレもまた、強い意志を湛えた目でじっと078を見据える。
しばし2人を睨みつけた078は、不意に高く跳躍した。そのまま2人の
頭上を跳び越えると、スタンビードガンナーの上に着地する。
「確かに、てめえの方が手札は多かったみたいだな。だけど、このままじゃ
終わらせねえぜ。」
言い終わった078の口元がかすかに発光する。
次の瞬間、全ての表情が078の顔から消えた。そのまま崩れ落ちたその体は
バランスを失って先ほど出来たクレーターの中央に落下する。
小さな発光体が、細かな火花を散らすスタンピードガンナーの内部に潜り込む。
と、その数秒後。
停まりかけていたスタンピードガンナーは不意に無気味な駆動音を響かせると、
バランスを崩しながらミツ夫とスミレ目掛けて突進してきた。
とっさに脇へ飛び退くスミレ。しかしミツ夫はその場に踏みとどまり、突進
して来た鈍重な機体を両手で受け止めた。そのままの姿勢で言葉をぶつける。
「何のつもりだ、ズファッシュ!僕を道連れにするつもりなのか?」
「相変わらず察しがいいな。」
雑音混じりのスピーカーから、明らかな狂気を孕んだ声がひずんで響く。
「どうせこのまま星へ戻されたとしても、俺は死刑だ。だったらいっそここで
てめえとそのバカ女を地獄の道連れにしてやる!せっかくだから付き合え!」
「バカはどっちだ…。」
言い捨てたミツ夫は片手を離すと素早くバッジを手に取り、口にくわえる。
その姿勢を保ったまま、ミツ夫は鋭い放物線を描いて一気に川に飛び込んだ。
出し抜けな静寂があたりに響き渡った、その一瞬の後。
爆発音と共に、凄まじい水柱が上がった。橋の上のスミレにも、助け出された
人々にも、大量の水が降り注ぐ。
動じる様子もないスミレは、身じろぎひとつせずに水面を凝視していた。
やがて、1つの影が水面から飛び上がり、スミレの前に勢いよく着地した。
「大丈夫?」
スミレの問いかけに、ずぶ濡れのミツ夫は笑顔で答えた。
「ああ。この通り。」
右手に握った円筒形の物体をかざし、言葉をつなぐ。
「今度こそ完全に捕まえた。さっきみたいにパワーを絞ったりしてないから、
解除キーを入力しない限りこいつはもう逃げられないよ。」
円筒状の結晶の中に、間違いなくズファッシュのゲル状の肉体が封じ込め
られているのが見えた。
「お疲れさま、ミツ夫さん。」
そう言ったスミレは、ミツ夫に手の中の物を差し出した。
すでに機能を停止した、2体のCCRだった。一体はいたる所がねじ曲がり、
無残にひび割れている。ミツ夫の替え玉として使用した079。もう一体は、
先ほどまでズファッシュに操られていた078だった。
しばしの沈黙の後、ミツ夫は2体をゆっくりと受け取った。スミレから目を
逸らしたまま、機械的な口調で呟く。
「もともとCCRは、任務遂行の戦力というより、今回みたいな囮として使う
ために開発されたものなんだ。だから構造も単純で量産が簡単だし、1回きり
しか起動できない使い捨て構造になってるんだよ。」
抑揚のない口調だった。
スミレは黙って次の言葉を待った。
うつむいて2体のCCRを見つめていたミツ夫の表情が、フッと優しくなった。
表面についた土をそっと指でぬぐうと、さっきまでよりもずっと柔らかい声で
語りかける。
「ご苦労さま。君たちのおかげで、任務を果たすことが出来たよ。ありがとう。
2人とも、ウチに連れてってあげるからね。」
「ウチ、って?」
首を傾けて訊ねたスミレに向き直ったミツ夫の、マスク越しの目は優しかった。
紛れもなく、自分の知っているミツ夫の目だった。
「宿舎にある、僕の個室のことだよ。これまでに任務で使ったCCRは、
みんな部屋にあるんだ。普通は廃棄処分にするらしいけどね。物持ちが
良すぎるってしょっちゅう言われるし、『お人形屋さん』なんてあだ名で呼ぶ
友達もいる。」
ちょっと言葉を切ったミツ夫は、改めて手の中のCCRに視線を落とした。
「だけど、僕には絶対に出来ない。たった一度でも、短い間でも、僕のために
身を捨てて戦ってくれた仲間をゴミとして捨てるなんて事は。たとえ、誰に
なんと言われようとね。」
語尾はかすれていた。ミツ夫は、涙をこらえているように見えた。
スミレは、小さなため息をついた。
深い、深い安堵のため息だった。
マスクとマントをまとってパー子になる事で、初めてまっすぐにミツ夫を見る
事が出来た。
そして、今の言葉で確信できた。
確かに、この人は桁外れに強くなっていた。宇宙の正義と秩序を守る超人
バードマンとして、冷徹で厳しい判断を下せるようにもなっていた。
だけど、大切なものを失ってはいない。
バードマンとしての生きざま、それに厳しさを自分なりに受け容れつつ、
その不器用なまでの優しさは変わっていなかった。
それこそが、自分が大好きなこの人、須羽ミツ夫の心の全てだった。
スミレは、CCRを握りしめるミツ夫の手にそっと自分の手を重ねた。
「良かったわね、あなたたち。ミツ夫さんの所で、ゆっくりお休みなさい。」
バリヤーを解除した橋には、喧騒と混乱が満ち溢れていた。
しかし、2人の間の空気はあくまでも優しく、静かだった。
====================================
思いのほか、服はあっけなく乾いた。
未だブルックリンブリッジには喧騒と混乱と、それにけたたましいサイレンの
音とが満ちていた。しかしいずれも破壊された部分の修復のためのものであり、
怪我人の類はいない。人質にされていた人たちもすでに全員保護されている。
そんな喧騒の赤い光を遠く瞳に映しながら、ミツ夫とスミレは並んで歩道脇の
柵に体重を預けていた。
イーストリバーに面した小さな公園。ふだんならこの時間でもかなりの人が
憩う場所である。しかし橋での騒動のせいか、人影は全くなかった。
さっきまでの激闘が嘘のように、静寂は深かった。
先に言葉を発したのはミツ夫だった。
「ごめんな、パー子。あんな危ない事をさせるつもりはなかったんだけど。」
きまり悪げに言ったミツ夫に、スミレは明るく答える。
「いいのよ。久し振りに楽しかったわ。あ、お守り返しとくね。ホント効果
抜群だったわ。」
ズボンのポケットから青い塊を出したスミレはそれをミツ夫に渡した。
サナギ状に圧縮された、1号のパーマンセットだった。
受け取ったセットを懐に収めたミツ夫は、視線を逸らしつつ呟いた。
「それにしても、これを渡しといて良かったよ。まさかホントに使うことに
なるとは思ってなかったけどね。」
スミレは、じっとミツ夫の横顔を見つめた。どことなくわざとらしい言い方だ。
小さく笑ったスミレは、顔を寄せるとイタズラっぽく言った。
「嘘ばっかり。ホントは初めから私に使わせるつもりだったんでしょ?」
思いもかけない言葉に、ミツ夫は驚いてスミレの方をパッと向き直った。
慌てて大げさに手を振る。
「な、何でだよ!そんなわけないだろ!だ、第一、今回君に会ったのだって偶然
だったってのに…」
しどろもどろに語るミツ夫。しかしスミレは全く取り合わなかった。意味深な
笑みを浮かべると、一枚の紙切れを取り出す。
「ふうーん。じゃあ、これは何なのかしら?」
その紙に目をやった途端、ミツ夫の顔色が変わった。慌てて手を伸ばす。
「あ、いや、それは!違うんだってば!返せよ!ど、どこで手に入れたんだ!?」
「078が持ってたのよ。」
追いすがるミツ夫の腕を紙一重で器用に交わしながら、おかしそうにスミレが
答えた。紙を開くと、わざとらしく眉をしかめて言い放つ。
「んまあ、何なのこれ?今回のあたしの渡米日程表じゃない。それも、すごい
詳しいスケジュールが書いてあるのね。どこでこんなの手に入れたのよ!」
あたふたしながら、ミツ夫は自分の迂闊さを呪った。そういえばCCRを起動
して捜査を分担した時、間違って渡したのを今の今まですっかり忘れていた。
ミツ夫の狼狽などお構いなしのスミレは、笑いながら言葉を続ける。
「で、何なのこの赤マル。今日の夕方、撮影アップ後?ここでどうなるの?
ひょっとして、ここであたしを誘拐かなんかするつもりだったの?」
赤くなったミツ夫は、ようやくスミレの手から紙切れを奪い取った。
「呆れた。あなた、立派なストーカーじゃない。正義の超人バードマンが
そんな程度の低いことにうつつを抜かしてていいの?名が泣くわよ。」
照れ隠しに紙をくしゃくしゃに丸めながら、ミツ夫は何とか面目を保とうと
必死に言葉を探した。
「い、いや違うって!今回はたまたま赴任地が地球だったし、ひょっとしたら
君に会えるかもしれないと思ってちょっと調べただけなんだよ!」
相変わらず取り合わないスミレは、意地の悪い言葉を続ける。
「…ちょっと?ちょっと調べただけでこんなに詳しいスケジュールまで全部
わかっちゃうんだ。凄いのね、バード星の情報収集力って!この分だと、
あたしの私生活なんて全部筒抜けなんでしょうね。いつお風呂に入ったとか、
どんな下着を身に着けたとか、ね!」
もはやセクハラに近いスミレの攻撃にお手上げ状態のミツ夫は、それでも
ストーカーの汚名返上に躍起になった。
「違うってば!そんな事してない、誓ってもいいぞ!いつもはテレビの番組を
チェックしてるだけ…で……」
パッと顔を輝かせたスミレを目の当たりにして、ミツ夫はついに沈黙した。
まんまと乗せられて、墓穴の中で墓穴を掘ってしまった。ばつの悪い顔で横を
向くと、再び柵に寄りかかって川に視線を移す。
そんなミツ夫の顔を覗き込み、スミレは言った。
「へーえ…。番組の方はチェックしてくれてたんだ。なんか、感激!」
それまでのからかい口調ではなかった。それは、素直な気持ちだった。
さっきとは、別の意味での安堵が広がった。
異星の大量殺人犯や戦闘用ロボットを相手に、全く気後れも物怖じもせずに
冷静に立ち向かったミツ夫が、今、自分の前でなす術もなくあたふたしている。
まるで子供みたいだった。
そう、どの顔も全て、ミツ夫の素顔。
全て受け容れるなんて、いたって簡単なことだった。
怯えを感じていた昼間の自分が、馬鹿みたいに思えた。
そして、安堵と共に嬉しさが込み上げた。
テレビをチェックしている。昔だったらアイドルとしての自分に嫉妬して、
憎まれ口のひとつでも口をついて出ていたところだ。
だけど、今は素直に嬉しい。
アイドル、星野スミレとしての自分もまた、紛れもない素顔。それがわかって
いるからこそ、そんな自分も想ってくれるミツ夫の気持ちは嬉しかった。
相変わらずきまり悪げな顔で水面を見るともなく見ているミツ夫の右腕に、
スミレは飛びついた。
(やっぱりこの人、ホントにミツ夫さんなんだ!)
街角で影のような姿を見かけてから、ずいぶん経った気がする。
スミレは、初めて本当にミツ夫に再会したことを実感していた。
面食らって慌てたミツ夫にも、スミレの気持ちは伝わった。自分の腕を掴んだ
スミレの手に、そっと自分の左手を重ねて軽く握る。
大きくて、たくましい手だった。
もう、怯えはなかった。そこには深い安心があった。
====================================
満たされた時間は短かった。
再び、ミツ夫の襟元でバッジが鳴り始めたのだ。
「帰還命令、だな…。まあ、無理もないや。時間を延ばし延ばしにして
もらってたからな。」
物憂げな仕種でバッジのコールを切ったミツ夫は、スミレの方を振り返ると
低い声で言った。
「もう、行かなくちゃならない。ごめんな、パー子。ゆっくり話す間も
なかったな。色々と言いたいこと、聞きたいことがあったのに…。」
すまなそうに目を伏せたミツ夫に、スミレは笑顔で答えた。
「ううん。そんな事ない。確かに時間は短かったけど、知りたいことは全部
ちゃんと教えてくれたじゃない。充分よ。」
「知りたいこと?僕が?…いつ?」
怪訝そうにミツ夫は問い返したが、スミレはただ笑顔を返すだけだった。
言葉なんて、今さらいらない。
全部、態度で、行動で、体で語り合った。
自分の想像していた通り、そして想像していた以上にミツ夫は強くなっていた。
そして、自分の大好きな、優しくて不器用なミツ夫のままだった。
自分も、パー子としてのお転婆な素顔を失ってはいなかった。
そして、何よりも。
ミツ夫は自分を、今でもパー子として見てくれていた。
トップアイドルとして、壊れものを扱うように接するのではなく。
何の力も勇気もない、ただの弱い女の子として大切にするだけでもなく。
自分の頼るべき相棒として、危険を承知で大切な任務を預けてくれた。
そんなミツ夫の気持ちが。そしてそれに応えられた自分が。
言葉を尽くして語り合うよりもずっと強く、自分とミツ夫の「今の絆」を
鮮明に見せてくれた。
相変わらず、全然そのへんは自覚してないらしい。
鈍いのは、これまた相変わらずだった。
(でも、そこもミツ夫さんらしいのよね!)
意味深な笑顔で見つめるスミレに、ミツ夫は背を向けつつ言った。
「じゃあ、ホテルまで送ってくよ。いくら何でも、夜のニューヨークに一人
放り出していく事なんて出来ないからね。行こう。」
「ちょっと待ってよ。」
歩き出そうとしたミツ夫に、スミレは改まった口調で声をかけた。
何の気なしに振り返ったミツ夫に顔を寄せ、ゆっくりと囁く。
「引退したあたしを引っ張り出して手柄立てといて、ねぎらいの言葉ひとつで
済ませるつもり?ちゃんと仕事のギャラ払ってよ、ギャラを!」
「ぎ、ギャラ?…僕が!?」
予想だにしていなかった言葉に、ミツ夫はこれ以上ないくらいにまごついた。
「い、いや、そんなこと言われても。お金なんてろくに持ってないし…」
こんながめつい子だっけ。そんな戸惑いをありありと浮かべてしどろもどろに
呟くミツ夫の口を、スミレはそっと押さえて黙らせた。そしてさらにゆっくり
囁く。
「誰がお金が欲しいなんて言った?」
そう言ってミツ夫の口から手を離したスミレは、グッと顔を近づけて目を閉じた。
やっとミツ夫にもスミレの言いたいことがわかった。
しかし、あまりにも予想外のことにミツ夫は固まってしまった。
声にならない声を絞り出す。
「あ…いや、あの。…ここで?…今!?い、いきなり過ぎやしないかな。」
片目を開け、かすかに笑ったスミレの言葉は容赦なかった。
「だめ。星野スミレ事務所はツケはきかないの。日払いが規則なんですからね。」
何だか、橋での駆け引きの時よりもよっぽど追い詰められたような気分だった。
何とか打開しようとするが、体が言う事をきかない。
相変わらずしどろもどろのミツ夫の態度を見たスミレは、つと体を引いた。
「何よ。」
腰に右手を当て、そのままミツ夫の目をじっと見つめて言う。
「あたしとキスするの、そんなにイヤなの?」
あまりにもストレートな言葉だった。それを聞いた途端、ミツ夫は落ち着いた。
落ち着いた途端、馬鹿らしくなった。何で今さらそんな事訊かれる必要がある?
「イヤなわけ無いだろ?」
そう言い放つと、少し乱暴にスミレの腰に手を回して引き寄せた。
そのまま、ゆっくりと唇を合わせる。
その感触よりも、手を回した腰の華奢な軽さが印象に残った。
スミレの体は、かすかに震えていた。
いくら鈍いミツ夫でも、その震えの意味はわかった。
どんなに明るく振る舞う勝気なお転婆でも。軍事用戦闘ロボットを完膚なき
までに叩き壊すパーマン3号でも。
この子は、自分を慕う女の子だ。それは当たり前の、そして自分にも彼女自身
にも重い事実だ。
今日、これでまたしばらく会えなくなるというのも、重い事実だった。
ミツ夫は、スミレの体を抱き寄せた。
彼女自身も、自分の首に回した腕に力を込めたのがわかった。
「心配するな。僕は、必ず近いうちに戻る。この星へ、日本へ、そして、
君のもとへ。だから今は待っててくれ。僕を信じて。」
「うん…。」
すでに涙で声の出ないスミレは、ミツ夫の肩に顔を埋めたまま小さく頷いた。
それ以上の言葉はいらない。
ただ、ミツ夫の体の大きさを感じていたかった。
寒々しい公園の明かりが、2人の影を薄く、長く映し出していた。
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晴れ渡った次の日の午後。
予定よりも大幅に遅れた飛行機に乗り、スミレは帰国の途に就いていた。
マネージャーはじりじりしていた。帰国が遅れたら、スケジュール調整が
大変なことになるからだ。
終始不機嫌なマネージャーの横で、スミレは小さくなっていた。飛行機の
予定が遅れたのはイミグレーションチェックが異様に厳しかったからだが、
それというのも昨晩、ブルックリンブリッジで不審な爆破テロ未遂事件が
あったため、というのが理由らしい。
はっきり言って、1/4くらいは自分のせいだ。
昨日の夜もこの世の終わりかというくらい怒られた。
「終日フリーだとは言ったけど、連絡もなしにこんな時間までどこへ行って
たんだよ!オマケに今夜はブルックリンブリッジで爆破未遂の事件があった
らしいって、街じゅうが厳戒態勢だったんだぞ!そんな中一人でフラフラ
歩き回るなんて、どういう神経してるんだよ君は!!」
まさかその騒動の真っ只中で、誰よりも大暴れしてたなんて事は口が裂けても
言えない。
黙って、かしこまって、怒られ尽くすしかなかった。
帰ったら、大変な過密スケジュールが待っているのは目に見えていた。
だけど、弱音なんて吐いてる場合じゃない。
ミツ夫は、宇宙の秩序を守る命がけの任務に、笑って戻っていった。
自分だって負けてなんかいられない。
それに、遠い星の彼方でミツ夫が観ている。
アイドル・星野スミレは今では自分の一番の素顔だ。それがミツ夫に届くのなら、
一層の気合と気持ちを込めないと!
晴れやかな気持ちで、スミレは雲の上に広がる青空に気持ちを飛ばした。
一瞬。
彼方にいるミツ夫の心が、空一面に広がって自分を包んだように感じられた。
=================【完】================
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