朝日ヶ丘スミレ団

トップページ > マイ・スミレダン > オオミツさんの世界 > 握手
■ 握手

====================================
 
 まさか、こんな事で。
 今まで、もっと大きなピンチだって切り抜けてきた。
 この僕でさえ、何度も。
 まして、パー子なら。
 僕よりも力も強いし、頭も切れる。どんな強敵にだって臆せずに向かっていく。
 それが、こんな事くらいで。

 腕の中のパー子は身動きひとつしない。
 包み込んだ腕に、その重みがのしかかる。6600倍の力の前では彼女の体重
 など羽根のようなもののはずだった。しかし、完全に預けられたその体は
 途方もなく重く感じられた。
 左腕の傷口にぎこちなく添えた手に、温かいものが感じられる。
 血だ、と認めるのには時間がかかった。
 「大丈夫。このくらいでパー子がどうにかなるもんか。」
 何度もつぶやく自分の声は、飛びすさる空に紛れて消えていった。

 涙さえ出ない。怯えすら実感できない。
 ミツ夫はどうしようもないほど混乱していた。

====================================

 それは、暴力団同士の抗争を鎮圧するという、ありふれた仕事だった。
 銃撃戦をやっているとはいえ、人数は全部合わせても10人足らず。パーマン
 3人が出動するには役不足といっていい事件だ。
 実際、それほど手間はかからなかった。ドラム缶を盾代わりにして接近し、軽く
 一撃食らわせて一人ずつ沈黙させる。ミツ夫、ブービー、パー子の息の合った
 連携で瞬く間に5、6人が無力化した。

 残るは大きなコンテナの陰に潜んでいた2人組のみ。その頃になってようやく
 パーマンの存在に気付いた2人は、自分たちの窮状を悟ってヤケを起こした。
 こちらをめがけて盲撃ちを仕掛けてくる2人を前に、ミツ夫は戦法を変えた。
 「君達2人があいつらの注意を引きつけてくれ。僕は回りこんで一気にカタを
 つける。」
 「オッケー!」
 言うがはやいか、3人は一斉に別方向へ飛び出した。ブービーとパー子はわざと
 目立つように上方向へ。ミツ夫は体勢を低くして真横に。
 慌てた2人組が上のブービーとパー子めがけて撃ちまくる間に、ブーメランの
 ように弧を描いて突進したミツ夫が一気に体当たりを食らわせた。もんどりうって
 倒れた2人の上に、放物線を描いて降下したブービーがダメ押しの一撃を決める。
 一瞬の出来事だった。

 「あっけないもんだな。僕ら3人にかかればざっとこんなもんさ。」
 大口を開けてのびてしまった2人を見下ろし、ミツ夫が言い放つ。ブービーも
 得意げに白い歯を見せてガッツポーズを決めた。
 「さて、後は警察に任せて帰ろうぜ、ブービー、パー子。」
 そう言って振り返ったミツ夫は、妙な光景を目にした。

 10メートルほど先に、パー子が自分に背を向けて倒れていた。
 「パー子?」
 訝しげにミツ夫が声をかけるが、何の返事もない。
 「おい、どうしたパー子?」
 駆け寄るミツ夫とブービーには、まだ何の危機感もなかった。
 間際まで近づいた2人は、パー子の姿に初めて凍りついた。

 体をくの字に曲げたパー子の腕の下には、小さな血溜まりが出来ていた。

 「お、おい!どうしたんだよパー子!大丈夫か!?」
 抱き起こしたミツ夫は、自分の手に鮮血が付く感触に思わず身震いした。
 一体、何が。まさかさっきの陽動の時に。

 パー子は相変わらずぐったりと何の反応も示さなかった。その左腕の袖が一際
 真っ赤に染まっている。服に、小さな弾痕があった。
 体中の力が抜けるのが感じられた。

 パー子が、撃たれた。
 実感するにも、受け容れるにも重過ぎる事実だった。
 呆然とするミツ夫は、耳元で怒鳴ったブービーの声に飛び上がって我に返った。
 「そ、そうだ。とにかく早く止血して病院に運ばないと。」
 自分の袖を引きちぎったミツ夫はそれをパー子の肩口にあてがい、しっかりと
 結ぶ。お粗末ではあるが、無いよりはましな止血処置だ。
 「救急車を呼ぶ時間がもったいない。僕が自分で運ぼう。」
 慎重にパー子の体を抱きかかえ、ミツ夫はそっと飛び上がった。
 ブービーはうろたえながらも自分の任務は何とか心得ていた。あちこちに転がる
 暴力団員たちをひとまとめにして鋼線で縛り上げ、逃げられないようにしてから
 ミツ夫の後を追う。
 遅れて駆けつけた警察は頑丈すぎる鋼線にお手上げとなり、急遽犯人の身柄拘束
 のためにレスキュー隊を要請するという騒ぎになってしまった。
 しかし、そこまでの配慮をその時のブービーに望むのは無理な話だった。

====================================

 病院までの距離はひどく長く感じられた。
 救急搬送口のドアをブービーに開けさせ、ミツ夫はパー子を抱えてもどかしげに
 中へ飛び込んだ。
 人は少なかったが、ただならぬ様子のパーマン3人の来訪に、騒然とした空気が
 流れる。
 「すみません、腕を撃たれたんです!早く診てください!!」
 かすれた声で怒鳴るミツ夫にたじろぎながら、若い医師がうなずいた。
 「わ、わかった、とにかくそこの診察台に寝かせて。それから傷を診るから服
 とマスクとマントを脱がせて。」
 言われるままにパー子の体を診察台に横たえたミツ夫は、最後の言葉に仰天した。
 「だ、駄目なんですよ。パーマンの正体は誰にも絶対に秘密なんです。マントは
 ともかく、マスクを外すのだけは絶対に…!」
 「しかし、場合によっては酸素吸入が必要にもなる。迅速に処置を行うには
 マスクは邪魔になるんだよ。」
 医師は譲ろうとしなかった。

 こんな問答なんかしてる時間は無い。すでにブービーはじりじりして歯をむき
 出している。
 ミツ夫はその場に土下座した。
 「お願いします!!パー子は、いや、あの子…パーマン3号は今まで数え
 切れないくらいの人の命を救ってきたんです。どうか、今だけはあの子を救う
 ためのわがままを聞いてください!このとおりです!」
 目の前で床に頭をすりつけるパーマンの姿に、医師は戸惑った。
 「しかし…」

 その時。
 「何だ、どうしたんだね。」
 低い声の持ち主が近づいてきた。
 どこかで聞いたことのある声だ。そう感じたミツ夫は反射的に顔を上げた。
 背の高い、痩せた白髪の医師がいた。特徴的な彫りの深い顔立ち。
 目が合った瞬間、その医師とミツ夫は同時に声をあげた。
 「あ、君は」
 「あれ、おじさんは…」

====================================

 やはり心配なミツ夫は、無理を言って手術に立ちあった。
 むろん、汚れた服で手術室に入るわけには行かない。一室を借りて滅菌された
 服に着替え、念入りに手を洗う。さらにマスクにもたっぷりと消毒液を拭き
 着けた。あらためて被ると何とも嫌な消毒臭が鼻を衝いたが、気にしている
 場合ではなかった。

 手術台の上には、ブラウスとマントを脱いだパー子が横たわっていた。
 直ちに弾丸の摘出手術が始まった。白髪の医師は手早く指示を出し、
 局部麻酔を施して執刀を進めていく。

 ケガ人はこれまで数え切れないくらい見てきたが、こういった手術を
 目の当たりにしたのは初めてだった。
 まして、いま施術を受けているのはパー子だ。
 その現実と手術台を染める鮮血の色に、ミツ夫は何度か目まいを覚えた。
 「大丈夫かね。」
 視線は切開部に向けたまま、医師はミツ夫を何度か気遣った。
 「す、すみません。大丈夫です。ありがとう。」
 自分のわがままを聞いてマスクを着けたままの手術という面倒な申し入れを
 快諾してくれたこの医師に、これ以上の気遣いをさせるわけにはいかない。
 ミツ夫は軽く自分の頬を叩き、気合を入れ直した。

 いくら何でもチンパンジーを手術室に入れるのは問題外だ。本当なら病院内に
 動物がいることでさえかなり問題なのである。そう諭されたブービーは不満
 たらたらながら、外の待合でミツ夫とパー子のマントとバッジを持って待って
 いた。
 こんな時、自分には何も出来ない。背を丸めて座り込んでいるブービーに、
 一人の看護師が声をかける。
 「大丈夫よ。部長の執刀なら間違いないわ。あの人はすごく優秀で優しいお医者
 さんなの。見た目はちょっと幽霊みたいでコワいけどね。」
 そう言って笑う看護師の屈託のない顔に、ようやくブービーも笑顔を返した。

 長い時間が過ぎた。
 ミツ夫とブービーは同じようにそう感じていた。
 しかし、実際の手術の時間はそんなに長くはなかった。
 施術が終了したことを知ったミツ夫は真っ先に医師に尋ねた。
 「どうなんですか、パー子は…」
 その顔は、手術を目の当たりにしたショックと心配で貧血さながらに真っ青に
 なっていた。
 医師の言葉はかなり予想外だった。
 「君たちの力の源は、あのマスクなのかい?」
 毒気を抜かれたミツ夫は、曖昧にうなずきながら答える。
 「ええ、何だか…そうだったと思います。体内に何とかって言う物質ができて…」
 しどろもどろに説明するミツ夫に、医師は笑顔を見せた。
 「大丈夫だ。最初はマスクを着けたままの手術というのは無謀かとも思ったん
 だが、結果的に非常にいい判断だったらしい。普通、あの角度で弾丸を撃ち
 込まれたら粉砕骨折しかねないところなんだが、どうやら骨が途方もなく強化
 されているらしく、ヒビひとつ入っていなかったよ。まあ、それ以外の筋組織は
 貫通されていたが、あのマスクには治癒能力を活性化させる作用もあるらしい。
 思いのほか縫合もうまくいった。」
 ストレッチャーに移されて運ばれるパー子と共に歩きながら、医師はミツ夫に
 説明した。
 全て理解できたわけではないが、どうやらこの医師とパーマンパワーのおかげで
 パー子は危機を脱したらしい。
 ミツ夫はあらためて深々と頭を下げた。

 「ただ、やはりショックは大きかっただろう。」
 少し厳しい面持ちで医師は言葉を続けた。
 「今夜いっぱいは熱も出るだろうし、厳しい状態になると思うよ。出来れば、
 君か、誰か家族の方が個室で付き添ってあげたほうがいい。」
 「ありがとうございます。でも…」
 と、ミツ夫は目を伏せた。
 「恥ずかしい話なんですが、彼女の素顔は僕らにも秘密なんです。家族って
 いっても連絡の取りようがなくて…。それに、病院の個室って結構お金かかる
 んでしょう。あの子に払えるかどうか。それに僕もお金なんてほとんど持って
 ないし。」
 
 「心配はいらないよ。」
 言いよどむミツ夫の肩に手を置き、医師は優しい声で言った。
 「正体が秘密なのは承知している。病棟の個室が空いてるから、そこを使うと
 いい。なに、お金のことは心配するな。私が責任を持つから君は彼女について
 いてあげなさい。」

 その言葉を聞き、ミツ夫は泣き出した。
 倒れたパー子の姿を見た時も。
 病院へ運んだ時も。
 倒れそうになりながら手術を見届けた時も。
 一滴も流さなかった涙が、今、とめどもなく流れて落ちた。
 声もなくぽろぽろと涙を落とすミツ夫の頭をマスク越しに軽く叩き、医師は
 明るい声で言った。
 「さあ、元気を出しなさい。正義のヒーロー、パーマンがベソかいてちゃあ
 みっともないぞ! なあに、彼女はすぐに良くなるよ。私が保証する。
 外にいる相棒には私が説明しておくから、まずは君は彼女と一緒に個室まで
 行って来なさい。細かいことはそれから話そう。」
 その言葉に顔を上げたミツ夫は、もう一度頭を下げて声にならないお礼を
 言うと、廊下の角で待っていたストレッチャ−のもとへと走っていった。
 
 笑顔で見送った医師の傍らに、最初にミツ夫と話した若い医師が立った。
 「先生、先ほどは申し訳ありませんでした。前例のない事態だったので、何が
 最善なのかわからなくて…。」
 「構わんよ。救急医療というのはそういうもんだ。一つ一つ学んでいけば
 いいさ。」
 医師の口調は穏やかだった。
 「しかし、先生の独断で個室を無償提供というのは、後々何かの問題になる
 かも知れませんが…」
 もう一人、傍らに立っていた小太りの看護師が心配げに医師に言った。
 「確かに、そうかも知れん。」
 視線を動かさないまま、医師は静かに答えた。
 「だがね、あの子が元気になる事で、数え切れない人の命がまた救われる。
 どんな時にも諦めずに人命を守ろうと必死になる。立場は違えどあの子達の
 使命の尊さは我々と何ら変わらないんだ。空いてる部屋を貸すぐらい、天秤に
 かけるまでもない事だ。」

 そう。あの時もそうだった。
 自分が船医を務めていた貨物船「安倍川丸」で病気が蔓延した時。あの3人は
 嵐にもタイムリミットにも絶望にも負けず、決死の覚悟で薬を届けてくれた。
 あきらめていた自分が恥ずかしかった。
 我が事のように間に合ったことを喜ぶ3人の姿がまぶしかった。
 人命救助の本質を、あの小さな超人たちに改めて教わった気がした。
 あの事件の後、船医を辞して救急救命医となった。
 より多くの、助けを求める人々を救うために。
 今日の再会は、何かの運命だったのかもしれなかった。

 「今日のことは私の独断だ。君達は心配しなくていいよ。そのかわり、
 あの子の措置については私に一任してくれたまえ。いいね。」
 自分たちをまっすぐに見つめて言ったその目には、強い意志が見受けられた。

 若い医師と看護師は、黙ってうなずいた。
 「承知しました。僕たちも出来ることがあれば協力しますから。」
 「そうか。ありがとう…んじゃ、さっそく頼んでいいか?外で待ってるあの
 チンパンジー君に事情を説明しに行くんで、ついて来てくれ。一人じゃあ
 怖いんでね!」
 一瞬の間を置いて、大きな笑い声の合唱が響いた。
 他の患者や看護師の不審げな視線の中、笑いはしばし途切れることはなかった。

====================================

 すでに夕闇が迫っていた。
 病棟の小さな個室。そのベッドでパー子が寝息を立てていた。先ほどまでに
 比べればずいぶん落ち着いているように見える。まだ筋肉注射の麻酔が効いて
 いるのだろう。
 窓際のパイプ椅子に、ぐったりした様子の1号が座っていた。
 無理もない。昼間の鎮圧劇からこっち、ずっと神経を張り詰めっ放しだったのだ。
 「そういや、バードマンやコピーに事情を説明しないと…」
 物憂げな仕種でバッジを取ろうとしたミツ夫は、己の迂闊さに舌打ちした。
 (バッジは自分のもパー子のも両方ブービーに預けたんだった…。)
 天井を仰いだミツ夫はため息をついた。
 まあ、仕方ない。一晩帰らなかったことなんて何度もあるから、コピーなら
 うまくやってくれるだろう。バードマンへの報告も明日ブービーが来てからで
 いい。どっちみち今日はここで泊まるんだから。

 この部屋は中庭に面しているため、あまり強い夕日は差し込まない。それでも、
 部屋全体がオレンジ色の日差しに淡く染められていた。
 ふと、その光に黒い影が落ちたように思った。
 何気なく窓の方を見たミツ夫は肝をつぶして椅子ごと後ろに倒れそうになった。
 自分のすぐ横の窓に、ヤモリのような姿勢でブービーが張り付いていたのだ。
 「な、何だよブービー、おどかすなよ…。」
 やっとのことで動悸を鎮めたミツ夫は窓を開けた。
 少しだけ部屋に顔を入れたブービーはミツ夫の肩越しにパー子の寝顔を確認
 すると、安心したように笑顔を見せた。
 「そうか、君もパー子が心配だったんだね。それにしても、よくこの窓が
 わかったね…って、もしかして手当たり次第にあんな風に窓をのぞきこんでた
 のかい?」
 ミツ夫は心配になった。あんな強烈なのをもしも体の弱い患者さんなんかが
 見せられたりしてたら…
 心外そうな表情を見せたブービーは事情を説明した。あの医師が待合の自分の
 所へ来て手術がうまくいったと教えてくれたこと、自分を病棟に通すわけには
 いかないが、窓から話すくらいなら許可してもいい、と中庭から病室の位置を
 教えてくれたこと。
 それを聞いたミツ夫は窓から下を覗いた。中庭の真ん中に先ほどの医師の白い
 頭が見える。大きく手を振ると、彼も小さく片手を挙げて応え、ゆっくりと
 背を向けて建物の中に消えていった。
 「何だか、あの人にお世話になりっ放しになっちゃったな。なあブービー、
 憶えてるかい?あの人、前に安倍川丸に乗ってた船医さんなんだよ。」
 もちろんというように大きくうなずくブービー。あの事件は3人にとっても
 思い出深いものだった。時間との戦い。凄まじい嵐との戦い。そして初めての
 パータッチ。暴風雨の中を矢のように飛んだ3人の心は、確かに一つだった。

 どちらからともなく、ミツ夫とブービーはベッドの上のパー子の顔を見つめた。
 今回の事は自分たちにとって、そして誰よりパー子にとって大きな試練だ。
 しかし、乗り切ってみせる。自分たちはパーマンだ。
 これからも人の命を救うために。
 (そして、今は僕がパー子を守ってみせる。リーダーである、この僕が。)

 「なあブービー、ひとつ頼まれてくれるかい?」
 2組のマントとバッジを受け取ったミツ夫は言った。
 「バードマンには僕から連絡を入れておくから、君は僕の家に行ってコピーに
 今日は帰れないことを説明してもらいたいんだ。」
 任せろというかのように大きく胸を叩いたブービーは、手を振りながら身を翻
 すとまっしぐらに飛んでいった。
 手を振って見送ったミツ夫はそっと窓を閉め、バッジのスイッチを入れる。
 のんきそうなバードマンの声がすぐに返ってきた。
 「やあやあ1号。元気にしとるかね〜!」
 無神経なほど大きな声に、慌ててボリュームを絞るとミツ夫は小声で事情を
 説明した。
 「なに、撃たれた!?それはいかんなあ。あいにくこっちも手が離せんのだよ。
 しばらく地球には行けそうにないんだが…。」
 肝心なときに頼りにならないのはいつもの事だ。恨み言をいう気にもならない。
 「とりあえず、3号のコピーには非常用通信で私から連絡を入れておこう。
 あとは彼女自身の看病なんだが…ううん、君に任せていいものか……。」
 「どういう意味だい、バードマン。もしかして、この機会に僕がパー子の素顔
 を見ようとするんじゃないかって心配してるの?」
 ミツ夫は無性に腹が立った。
 「バカにするなよ!いくら僕だって、そんな卑怯なまねするもんか!絶対に
 パー子の素顔は見ないぞ!少しは信用してよ、自分の選んだパーマンを!」
 声を荒げるミツ夫に、バードマンは素直に謝った。
 「すまんすまん、悪かった。そう興奮するな。わかった。入院している間の
 3号の事は君に任せよう。コピーや2号とうまく連携して乗り切ってくれ給え。
 じゃ、頼んだよリーダー!」
 通信を切ったミツ夫の決意はますます固くなった。バードマンはわざと自分を
 あおってマスクを取らせないように仕向けるつもりだったのだろうが、そんな
 小細工は今の自分には必要ない。
 言われなくたってパー子は絶対に守る。
 そして、パー子の秘密も絶対に守る。
 バッジを付け直しながら、ミツ夫はパー子の寝顔を今一度見やった。
 (任せとけ、パー子!)

====================================

 夜の帳が下りた。
 外は真っ暗になった。中庭を隔てた隣の棟には入院病棟はないらしく、明かりの
 ついた窓は一つもない。蛍光灯の明かりが寒々しい光で室内を照らし出していた。
 (もう9時半か…。)ミツ夫は枕もとの時計の表示を見た。先ほどまでかなり
 慌ただしかったドアの外も、時折通る看護師のスリッパの音以外はあまり音も
 しなくなった。
 面会時間は規定では8時まで。残っていた患者の家族も、この時間になると
 泊まりの人以外は帰るのだろう。

 何だか、長い夜になりそうだ。
 そう思って何気なく窓の外を見た時。
 不意にかすかなパー子の声が耳に届いた。
 「マ、ママぁ……。」
 ハッとミツ夫は振り返った。さっきまで静かな寝息を立てていたパー子が、
 何だかうなされているかのようにかすかに首を振っているのが見えた。
 「どうした、パー子?」
 心配げに近づいたミツ夫は、パー子が脂汗を流しているのに気付いた。
 (そうか、麻酔が完全に切れたんだな。それで傷の痛みが今になって強く
 なってきてるんだ。)
 頬に触れると、確かに熱を帯びていた。予想していた事とはいえ、パー子の
 姿は痛々しかった。

 (この分じゃ、マスクの中はもっと汗をかいてるに違いないな…。かといって
 外して汗を拭くわけにもいかないし。)
 顎や首筋を伝う汗を拭きながら、ミツ夫は迷っていた。6600倍の力で
 介抱したらかえって怪我をさせる恐れがあるので、この時にはミツ夫は自分の
 マスクは脱いでいた。

 その時、少し大きく首を振ったパー子がはっきり聞き取れる声で言った。
 「う……ミ、ミツ夫さん……助けて…」
 タオルを手にしたまま、ミツ夫の動作はぴたりと止まった。
 意識が戻った様子はない。うわごとだ。朦朧とした中で、パー子は確かにこの
 自分に助けを求めた。

 目の前にいるのは、いつも自分を力任せに殴り飛ばすお転婆ではなかった。
 正義のスーパーヒーロー、パーマンでもなかった。
 自分と同い年の、普通の女の子だ。怪我に苦しみ、必死に助けを求めている。
 ミツ夫は、ある意味、パー子の素顔を見たと思った。
 虚勢をまとっていない、当たり前の弱さを持った素顔を。
 だったらできる限りの事をしないと。つまらない事にこだわっている場合では
 ない。

 再び窓の外の闇を見やったミツ夫の頭に、名案が浮かんだ。
 (そうだ。今夜はさいわい月も出ていない。もしかすると。)
 ミツ夫はまずパー子の枕もとのスタンドを引き寄せた。彼女の顔に光が当たら
 ないように角度を変え、そっと明かりをつける。
 次に窓際に行き、カーテンを閉めた。結構厚手のカーテンだった。これなら。
 最後に入り口へ行くと、室内灯の明かりを消す。
 スタンドの暖かな光の脇に、パー子のマスクの輪郭が見える。それ以外の物は
 かすかな光に照らされ、ぼんやりと影を壁に向かって映していた。
 手探りで慎重に椅子まで戻ったミツ夫は、再びタオルを手に取るとパー子の
 顔の「座標」をしっかりと記憶するため目を凝らした。

 「よし。」
 小さくつぶやいたミツ夫は、スタンドの電気を消した。
 予想以上の闇が満ちた。パー子の顔はおろか、自分の手すら見えない。
 これなら、マスクを取っても何にも見えないだろう。
 ミツ夫は今しがた目に焼き付けた映像の記憶を頼りにマスクのバンドに慎重に
 手を伸ばした。
 位置はバッチリだった。バンドを外すと、マスクをゆっくりと脱がせて枕の
 右側に置く。
 しかし、次の動作では少し位置を誤った。額の汗を拭こうと伸ばした手が最初
 に触れたのは唇だった。その、柔らかすぎる感触に胸が早鐘のように鳴った。
 「焦るな、落ち着け!」小声で自分に言い聞かせ、改めて手を伸ばして額の
 位置を把握する。
 予想通り、びっしょり濡れていた。ぎこちない手でタオルを持ち直し、その汗を
 ていねいに拭っていく。
 その頃になると、なんとなく目が慣れてきた。最初はまったくの闇かと思って
 いたが、扉のほうにかすかな光源がある。窓はないが、足元に換気用と思しき
 スリットがあるせいで廊下の光がわずかながら入るらしい。
 光源から遠いためにパー子の顔は相変わらず輪郭すらもはっきりしないが、
 自分の動きはぼんやりとトレースできる。
 (いいぞ。これなら理想的だ。)
 何度も汗を拭いているうちに、おぼろげながら手が顔の輪郭を憶えてきた。
 何度か、まつ毛や鼻が軽く手に触れた。そのたびに起こしたんじゃないかと
 慌てて手を引っ込める。しかし、パー子が目を覚ます気配はなかった。
 ふと、ベッドの中ほどでかすかな物音がした。何か動いてシーツがこすれる 
 ような音だ。
 とりあえず、空いている右手でそっと探ってみる。と、柔らかい物が触れた。
 何なのかを把握する前に、手を軽く掴まれた。握手のような感触が伝わる。
 (パー子の右手か。)
 依然として意識が戻った気配はない。恐らく、反射的な行動だろう。
 ちょっと無理な姿勢になったが、ミツ夫はあえて手を離そうとはしなかった。
 (こうしていることで、少しでも痛みや恐怖がやわらぐのなら。)
 
 ミツ夫は、不思議なくらいに落ち着いていた。
 眠り込んでいる女の子と真っ暗な病室で2人きり。
 しかも、相手はマスクを外したパー子だ。
 それが、どうして。
 「パー子だから、なのかな…」
 ミツ夫は小さな声でつぶやいた。何だか、自分のしていることがとても自然な、
 当たり前のことのように思えていた。

 そんな風に感じる自分自身が、何だか不思議だった。

 枕もとの時計はデジタルではないため、この闇の中では今の時刻はわからない。
 ずいぶん経ったようにも思えるし、いくらも経っていないようにも思える。
 しかし、扉の向こうの物音はほとんどしなくなっていた。
 病棟も眠りにつく頃なのだろう。
 さっきまでに比べると、パー子の寝息はいくぶん落ち着いたようだった。
 それに伴い、汗もかなりひいていた。
 ミツ夫は安堵のため息を小さくもらした。

 遠くに位置する詰所のナースコールが、かすかに静寂の中に響いていた。

====================================

 重いまぶたを開けた時。
 最初に見えたのは防音加工された穴だらけの白い天井だった。

 午前6時前。まだ朝というには薄暗かったが、廊下の足音は病棟の目覚めを
 告げていた。

 「どこだっけ、ここ…」
 体を動かそうとした時、左腕に鈍い痛みを感じた。
 そうだ、暴力団の銃撃戦を止めようとした最中、へまをして撃たれたんだっけ。
 痛みで体勢を崩して落下した後、気が遠くなって…
 次第に頭がはっきりしてくるにつれ、今の状況がおぼろげながら見えてきた。
 (じゃ、ここは病院?)
 上を向いたまま、壁や天井を見渡す。どうも個室らしい。
 早朝なのだろうか。カーテンが閉まっているらしく部屋は薄暗い。
 しかし、明らかに朝を感じさせる柔らかな光が満ちていた。
 (ミツ夫さんとブービーが運んでくれたのかしら…)
 その時、初めてスミレは右手のかすかな感触に気付いた。誰かが握っている。
 「ママ…?」
 反射的にそんな言葉が口を衝いて出た。小さかった頃、熱を出して寝込んだ時に
 母親がつきっきりで手を握って看病してくれたことをぼんやりと思い出した。
 かすかに首を回してベッドの右側に視線を移す。

 一気に、完全に目が醒めた。
 瞠目したスミレは、やっとのことで叫び声を飲み込んだ。
 自分の手を握っているのは、ミツ夫だった。
 顔をこちらに向けたままベッドに突っ伏し、泥のように眠りこけている。
 不自然な姿勢で体の下に敷いた右手が、握手するような形で自分の右手を軽く
 握っていた。

 寝起きには衝撃的すぎる構図だ。
 何とか動悸を鎮めようとするスミレに、更なる追い打ちが待っていた。
 視界の右隅に、赤い塊が見える。
 とてつもなく嫌な、そして危険な予感がした。
 おそるおそる視線を移す。
 (やっぱり…)
 そこには、最もあって欲しくない物が鎮座していた。自分のパーマンマスクだ。
 マスクを、していない。
 しかも、ミツ夫の前で。
 横になっているにもかかわらず、スミレは目まいを覚えた。
 「見られちゃった、のかしら。だとしたら…だとしたら……」
 頭が混乱してパンク寸前だった。
 「と、とにかく、もう無駄かもしれないけど、マスクを被らなきゃ…」
 慎重に、慎重にミツ夫の手から自分の手をそおっと引き抜く。
 左腕がきかないという事が、こんな意外な場面でたまらなくもどかしかった。
 焦って音を出し、ミツ夫が目を開けたら一巻の終わりだ。
 いや、実はもう終わってるのかもしれないけど。
 ゆっくりと手を引き戻したスミレは、何とか震えを抑えながら傍らのマスクを
 手に取った。ベッドの枠にぶつけたりしないように、これまたゆっくりと頭に
 持っていって深々と被る。
 まさにその瞬間。
 「う、う〜ん、何だ、もう朝…?もうちょっと寝かせてよぉ…」
 間延びした声をあげ、ミツ夫が物憂げに目を開けた。
 焦点の定まらない視線が、身じろぎひとつしないスミレの胸元辺りをさまよう。

 と、不意に固く目を閉じたミツ夫は思い切り首を反対側まで回し、同時に悲鳴
 とも裏声ともつかない声をあげた。
 「イテっ!!…パ、パー子。マスク被ってるか!?マスク!」
 「え、ええ。被ったわよ。たった今…」
 曖昧な声で答えたスミレに、ミツ夫は安堵したようにゆっくりと顔を向け直した。
 「危ないとこだった。まさかもうこんなに明るくなってるなんて…一体、いつ
 寝入っちゃったんだろ。おぉ、痛てててて。」
 首をさすりながらそうつぶやくミツ夫に、スミレは勇気を振り絞って尋ねる。
 「あ、あの、ミツ夫さん……。その…見たの?あたしの…」
 「顔を見た後だったらこんなに慌てたりしないし、寝違えたりしないよ。
 大丈夫。マスクは汗を拭くために取ったんだ。ちゃんと部屋を真っ暗にしてね。」
 顔をしかめ、半ば涙目になりながらミツ夫は答えた。よっぽど首が痛いらしい。
 あんな変な姿勢で寝ていた後であれだけ急に首をねじったら、筋がおかしくなる
 のは当然だ。
 おかしさがこみ上げると同時に、スミレも涙目になった。
 ミツ夫の不器用な心遣いに、涙が溢れた。
 うつむいたままのパー子のマスクから、涙がこぼれてシーツに小さな跡を作る。

 「どうした、パー子?まだ傷が痛むのかい?先生の話じゃ傷は大したことないし
 骨にも異常はなかったって事だけど。」
 心配げに顔を覗き込むミツ夫に、小さく首を横に振ってみせたパー子は声に
 ならないかすれた言葉で答えた。
 「ううん。大丈夫。ありがとうミツ夫さん。」

 鈍感さが、何だかたまらなく懐かしく感じられた。

 パー子が落ち着くのを待って、ミツ夫は昨日の経過を順に説明した。
 銃で撃たれて意識を失ったパー子を病院に運んだこと。
 この病院に、あの安倍川丸の船医さんが勤務していたこと。
 彼があれこれと無理を聞いてくれ、しかも個室まで提供してくれたこと。

 夜通し看病するつもりが、いつの間にか熟睡してしまったことをきまり悪げに
 付け加えたミツ夫は、痛そうに首を押さえつつ苦笑いした。
 笑顔を返しつつ、スミレは動悸が早まるのを懸命に顔に出すまいとしていた。
 真っ暗な個室で、ミツ夫と一晩二人っきり…。
 (ホントに汗を拭いてただけだったの?)
 訊きたいのは山々だったが、そんな事は口が裂けても訊けない。
 何一つ憶えていない自分が無性に腹立たしかった。
 「それにしてもミツ夫さん。いくら個室だからって、自分までマスクを取って、
 しかも熟睡なんて油断し過ぎよ。誰かに見られたりしたらどうするつもり
 だったの?」
 「しょうがないだろ、パーマンパワーで怪我人の看病なんか危なっかしいし…。
 それにあの先生が色々と気を利かせてくれて、こっちから呼ばない限りは絶対
 に扉を開けないように看護婦さんたちに言っといてくれたんだ。内側から鍵を
 かけることも、特別に許可してくれた。」
 「そ、それじゃあ…」
 (いよいよ完全な密室だったのね。)あれこれ想像がとりとめもなく暴走する。
 顔を赤らめてうつむいたパー子に、再びミツ夫は熱でもぶり返したのかと見当
 違いな心配の言葉をかけた。
 かみ合いそうでかみ合わない会話に、ようやくいつもの日常が戻りつつあった。

 いつしか、朝日がカーテン越しに細く差し込んでいた。
 ガラガラと音を立て、配膳車が部屋の前に停まるのがわかった。
 ほどなく、看護師の明るい声が扉越しに聞こえた。
 「パーマンさあん。朝食ですよ〜!」
 その声を聞いたとたん、ミツ夫の腹が小さく鳴った。
 すっかり忘れていたが、昨日の夕方から何にも食べていなかったのだ。
 「はいはい、今開けまーす!」
 満面の笑みを浮かべて立ち上がったミツ夫に、スミレが慌てて声をかける。
 「ちょっと、ミ…1号!マスクマスク!」
 すでに扉の前にいたミツ夫は、その声を聞いて慌ててパー着した。
 「おっと、危ない危ない。忘れるとこだったよ。」
 そう言いながら、カチャカチャと鍵をいじくるミツ夫の背中をスミレはじっと
 見つめた。
 相変わらずのあわて者ぶり。
 しかし、その背中はいつもより少し大きく見えた気がした。

 病院の特別の配慮により、付き添いのミツ夫にも食事が振る舞われた。
 カーテンを開け、朝日に満ちた明るい部屋の中でミツ夫は病院食をむさぼる
 ように食べる。
 そんなミツ夫を、スミレは微笑みながら見ていた。
 一緒に朝食。
 何度も想像した場面だったが、こんなに早く、しかもこんな思いもかけない
 シチュエーションで実現するとはさすがに思っていなかった。
 あっという間に平らげたミツ夫は、ほとんど手をつけていないスミレのトレイに
 目を落とす。
 (『足りないから僕にくれ。』ってとこかしら…。)
 心の中でイタズラっぽく笑ったスミレの予想は見事に裏切られた。
 「あ、ゴメンゴメン気がつかなくて。何しろ腹ペコだったもんで…」
 付属のウェットティッシュで手を拭き、椅子ごとスミレの間近まで近づきながら
 ミツ夫は言った。
 (な、何?)
 ミツ夫の行動が今ひとつ読めないスミレはたじろいだ。
 そんなスミレの動揺など気付く由もないミツ夫は、手早くマーガリンの袋を
 破るとパンに塗りつけていく。次いで牛乳ビンの蓋を器用な手つきで外した。
 「片手が使えないんじゃ、何かと不便だからね。僕が食べさせてあげるよ」
 スミレはみっともないほどうろたえた。
 「い、いいわよ!右手は何ともなってないんだから…」
 しどろもどろに言ったが、ミツ夫はまったく取り合わなかった。
 「無理はさせない!怪我したときくらい素直に言うことを聞いてもらおう。
 僕はパーマンのリーダーだぞ。いいかい!?」
 毅然とした物言いに、スミレは小さく答えた。
 「…はあい。」
 確かにミツ夫の言うとおりだ。
 それに、こんな機会はもう2度とないかもしれない。
 あれこれ考えているうちに、ミツ夫はパンを不ぞろいな形にちぎっていた。
 一切れを手に取り、言う。
 「ほら、口開けて!」
 何もそこまでしなくても、手で取れるのに。
 相変わらず気が回るんだか回らないんだか。おかしさをこらえながら、
 それでもスミレはおとなしく口を開けてパンをくわえた。
 この人の生き方の不器用さは、時々こういう変な副産物を生む。
 迷惑することもしょっちゅうだけど、こんなのだったら大歓迎だ。
 手持ち無沙汰になった右手の間が持たないため、スミレは少し体をひねって
 牛乳ビンに手を伸ばした。
 と、ちょうどミツ夫の差し出した次のパンの一切れがタイミング悪くスミレの
 頬に触れた。口の横にちょっとマーガリンが付く。
 「おっと。」
 牛乳ビンを置く間もなく、ミツ夫の親指が伸びた。軽くスミレの頬をなぞって
 マーガリンをぬぐうと、その指をそのまま自分の口に運ぶ。
 言葉を差し挟む間もない、一瞬の出来事だった。指先を軽く舐めるミツ夫の何気
 なさ過ぎる仕種と下心のない顔を目の当たりにしたスミレは、再び目まいを
 感じて牛乳ビンを落としそうになった。

 (…ちょっと、もうこのくらいで許して…)

 怪我をした翌日の無防備な心に、あまりに刺激の強すぎるショック療法だった。

====================================

 「だって、撃たれたのは昨日なんだよ。いくら何でも無茶だよ。」
 ミツ夫は頑として反対した。
 昼前に家に帰るというパー子の提案は、あまりにも無謀なものに思えた。
 しかし、今度はパー子も譲る気配を見せなかった。
 「ここにいつまでもいたら、いろんな人が迷惑するし、もしかしたら危険な
 目にあうかもしれないわ。」
 納得できない面持ちのミツ夫の目をまっすぐに見据え、パー子は言葉を続けた。
 「昨日、あたしがここに運び込まれたって事は多分それなりに広まってるはず。
 素顔のあたしがあなたが病院に運び込まれたって事とは事情が違うの。もしか
 したらマスコミが来るかも知れないし、もっと言えば、パーマンを狙ってる
 連中が襲ってくる事だって考えられるのよ。こんな所で騒ぎを起こしたら、
 それこそどんな惨事になるかわからないでしょ。」
 筋の通った話だった。確かにパーマンが怪我をして入院しているというのは、
 病院にとっては危険すぎる噂だ。
 返す言葉が見つからないものの、ミツ夫はやはり首を縦に振る気にはなれない。
 呻吟するミツ夫の姿に、パー子は穏やかな口調で言った。
 「心配しないで1号。家にはコピーもいるし、無茶はせずにゆっくり休ませて
 もらうつもりよ。気遣ってくれてありがとう。」
 それまで黙って2人のやりとりを聞いていた医師は、眠りから覚めたように
 顔を上げると白い頭を2人のほうに向けて言った。
 「どうやら、パー子君の言う事が一番理にかなっているようじゃね。私と
 してはやはり心配は残るが、まあ君らパーマンの事だ。大丈夫だろう。
 家で養生する際の注意点はできる限り教えておくから。」
 2人にそう言われては認めるしかない。ミツ夫はしぶしぶ頷いた。

 「それじゃあ、準備にかかろうか。」
 ゆっくり立ち上がりながら、医師は大きな声で言い放った。

 2時間後。
 目立たないようにという配慮から、ミツ夫とパー子は中庭から医師ともう
 一人の若い医師、それに小太りの看護師に見送られて飛び立った。
 パー子は家での養生におけるアドバイスを書いたメモ帳と薬を数種、それに
 直通の電話番号をもらっていた。
 「具合の悪いときにはいつでも言ってきなさい。それと、順調に回復したら
 20日くらいで抜糸できるから、電話してからおいで。」

 何から何まで世話になった2人は、ただただ頭を下げるしかなかった。

 見えなくなるまで2人を見送っていた看護師は、ポツリとつぶやいた。
 「しっかりした子たちでしたね。とても小学生とは思えない。」
 若い医師も空を見上げたままつぶやく。
 「先生があれこれと規約に背いてあの子達のために尽力されたのも、何となく
 わかる気がします。今なら。」
 「そうさ。」
 風に乱れた白髪を手で直しながら、医師は空に向かっていった。
 「これも大きな人助けだ。」
 向き直り、2人の肩を強く叩いた医師は明るい顔で言った。
 「さあ、仕事だ!こっちはこっちで、大変な戦いが待ってるぞ!」
 笑顔を見せた2人の背を押しながら、医師は晴れ晴れとした気持ちで建物の
 中に消えていった。

====================================

 「ホントに送っていかなくって平気なのかい?僕的にはすごい心配なんだけど。」
 またしても食い下がるミツ夫に対し、パー子はあくまで穏やかな口調で答えた。
 「大丈夫大丈夫。ここからならそんなに遠くもないし、ゆっくり飛んで帰る
 くらいの事なら何てことないわ。だから心配しないで。」
 心配してくれるのは嬉しい。しかし正体が明かせない以上はこう言って何とか
 納得してもらうより他にない。
 「ね。言ってくれたじゃない。あたしの事も、あたしの秘密の事も守るって。
 だったら今は黙って帰って。お願い。家に着いたら絶対電話で連絡入れるから。」
 「電話?」
 訝しげにミツ夫が振り返る。
 「そう。電話。バッジじゃどこからかわかんないから、不安でしょ。電話なら
 家からかけるものだから。」
 「まあ、そうだな。公衆電話ならうるさいからすぐにわかるだろうし…」

 腕組みしてつぶやくミツ夫の過剰なまでの心配ぶりが、おかしくも嬉しかった。
 「じゃあ、そういうことだから。ホントにありがとう。またね!」
 そう言ったパー子は、速度を抑えつつまっすぐに飛んでいった。
 心配は尽きない。だけど、怪我したとはいえあの子はまぎれもないパー子だ。
 きっと大丈夫だろう。
 気持ちを切り替えたミツ夫は、踵を返すと自分の家めがけて一気に速度を
 上げた。後ろ髪引かれる思いを、振り切るかのように。

 今日は日曜。
 ブービーから事情を訊いていた留守番のコピーは、ベランダでぼんやりとミツ夫の
 帰りを待っていた。
 うとうとしかけたその時、見慣れた影が一直線に飛んでくるのが見えた。
 「あ、やっと帰って来た…。」
 ゆっくりと立ち上がって迎える。しかしミツ夫はやけにせかせかしていた。
 「おかえり。」
 「ただいま。昨日はすまなかったな。悪いけど、ちょっと急ぐ用事があるんだ。
 服の袖を台無しにしちゃったから、今着てるシャツを脱いでくれ。僕が着る。」
 ただならぬ様子のミツ夫の剣幕に押され、コピーはせかせかと服を脱いだ。
 「悪い。後で説明するから。」
 脱いだシャツを受け取る手ももどかしくコピーの鼻を押したミツ夫は、シャツを
 着ながら転がるように階段を下りると電話の前に陣取った。
 「どうしたのお兄ちゃん。怖い顔して。」
 ガン子の言葉に、ミツ夫は目もくれずに答える。
 「見りゃわかるだろ。電話待ってるんだよ。」
 なんだか、いつもと違う。気圧されたガン子はリビングに駆け込むと母親の
 膝に飛び乗った。
 「ママー、お兄ちゃんなんか変だよ。すっごい怖い顔して電話睨んでる。」
 「へえー。きっとよっぽど大事な電話を待ってるのよ。ひょっとしたら恋人
 からかもしれないわね。」
 「ええっ、お兄ちゃんに恋人?まさかあ!」
 的を得ているような外れているような母と妹の会話も、ミツ夫の耳には全く
 聞こえていなかった。

 待つこと20分。最初の電話は外出している父からで、勢い込んで出たミツ夫は
 いらぬ恥をかいた。
 しかし、2度目の電話は紛れもなくパー子からだった。
 『連絡遅れてごめんなさい。今さっき着いて、着替えしてたの。』
 「ホントに家に着いたんだろうね。念のためにコピーに替わってよ。」
 『疑り深いわね。コピーが出かけてたらどうすんのよ…。まあ、今は居るから
 いいけど。じゃ、ちょっと待って。』
 短い沈黙の後、同じ声の、しかし若干落ち着いた口調の女の子の声が聞こえた。
 『どうもミツ夫さん。あたし、パー子さんのコピーです。事情はバードマンと
 パー子さんから訊きました。ホントに色々ありがとう。』
 明らかにパー子とは違う話し口調。
 (これがパー子のコピーか。…でも、パー子の一人芝居って事もあり得るぞ。)
 すっかり疑心暗鬼のミツ夫は、まだ安心していなかった。
 「ちょっと、悪いけどもう一回パー子に替わってよ。」
 『ええ、いいですけど…』
 今度はすぐにパー子が出た。
 『まだ何かご不満?』
 「あのさ、本当に今のがコピーだって言うんなら、2人で同時に何か喋って
 みてよ。そこに居るんなら出来るだろ?」
 『…わかったわ。ホントに疑り深いんだから。じゃ、よく聞いててよ。』
 ミツ夫は思わず受話器を両手で握り直して次の言葉を待った。

 短い沈黙の後、2人のパー子の声が一斉に耳に飛び込んできた。

 『ミツ夫さん、大好き!!』

 不意打ちを食らったミツ夫は、すっかりしどろもどろになった。
 「へ、変な事言うなよ!わかった。確かに家に着いたみたいだな。よろしい!
 えー…つまり、何だ。治るまでは絶対に無理しちゃいかんよ。しばらくは安静
 にしてる事!こっちの仕事は、僕らに任せときなさい。いいね。これは…
 その…そう!リーダーからの命令だ。…えー、以上!」
 『了解しました、リーダー!後のことはしばらくヨロシク!じゃ、ありがと!』

 電話は切れた。ミツ夫はふうっと大きな息を吐いて受話器を置いた。
 疲れが、ドッと出てきた感じだった。

 同じ時。
 マンションの自室で受話器を置いたまま佇んでいるスミレの姿があった。
 傍らに立って肩を支えるコピーの目は優しかった。

 今、スミレが泣いている理由は聞かなくてもわかった。

 計らずも、弱さ、もろさを見せてしまった自分。
 そんな自分をミツ夫は全身で受け止めて必死に守ってくれた。
 不器用なまでにまっすぐなミツ夫の思いが、今のスミレを満たしていた。
 右手で顔を抑えたスミレは、嗚咽を漏らしながらコピーの胸に身を預けた。
 傷に障らないように注意しながら、コピーはそっとスミレの体を包み込む。

 「良かったわね、スミレちゃん。あなたの好きな人がミツ夫さんで。」
 髪を撫でながら言ったコピーの言葉に、スミレは泣きながら何度も頷いた。

 無理を重ねたせいで腕の傷がまた疼き出していた。
 しかし、今のスミレには痛みさえも自分に対するミツ夫の気持ちの一部である
 かのように感じられていた。

 穏やかな午後の日差しが、2人の足元を淡く照らしていた。

====================================

 今日は土曜日。
 心地良い倦怠感に満ちた午後の空気を感じながら、スミレはテーブルに
 肘をついてぼんやりとカレンダーを見ていた。

 あの日から、ちょうど1ヶ月。
 傷は信じられないくらい順調に癒えた。抜糸した跡もほとんど残っていない。
 多分、医師から渡されたメモにあった、風変わりなリハビリのおかげだろう。
 「1日、最低3時間はパーマンマスクを被ること」
 それと治療とどういう関係があるのかさっぱりわからなかったが、とりあえず
 やってみた。
 効果は驚くほどてきめんだった。体内に生成されるパーマロゲンの作用で傷が
 治癒するのが何となく感覚としてわかる。
 今更ながらパーマンパワーの凄さを実感すると共に、アドバイスをくれた医師の
 着眼点の鋭さにも脱帽した。
 もう、いくら動かしても大丈夫。ダンプカーだって持ち上げられるだろう。

 しかし、スミレはまだ復帰してはいなかった。
 パーマンとしての活動は休止したまま。芸能活動もずっとコピーに任せていた。
 この一ヶ月、ミツ夫やブービー、バードマンとも連絡していなかった。

 一週間ほど前、抜糸のために再び病院を訪れた時。
 「君の言うとおりだったよ。」
 手際よく縫合の糸をピンセットで抜きながら、医師は言った。
 「君達2人が帰った日の夕方ごろ、新聞社を名乗る輩が4組ほどここにやって
 来たんだ。1組は身分の確かな本物の記者だったが、後は何となく胡散臭げな
 連中だった。すでに退院したということをしつこく確認すると、黙って帰って
 それっきりだったがね。君がいたらもしかするとひと悶着あったかも知れん。
 まったく、君の洞察力には恐れ入ったよ、本当に。」
 そう言って笑った医師に対し、パー子も曖昧な笑顔を返した。
 しかし、内心では動揺していた。
 予想していた事のはずなのに、ショックの大きさは想像以上だった。
 弱くなっている自分の心を痛感し、パーマン活動への復帰の決意は鈍った。

 銃で撃たれたから、怖くなった?
 違う。
 今まで、もっと危険な目にも遭ってきたし、もっと怖い思いも経験してきた。
 お転婆パー子としての自分が、いつだってそれらを克服してくれた。

 だけど、今は怖い。
 パーマンとしての使命が、ではない。危険な事件や事故が、でもない。
 ミツ夫が怖い。
 彼に会うのが。彼と話すのがたまらなく怖い。

 怪我に倒れたあの日。
 ショックで裸になっていた自分の心は、あまりにも暖かすぎるミツ夫の優しさに
 完全に包まれてしまった。

 電話を切った後、無理がたたったスミレは再び熱を出して寝込んだ。
 たまたまその日は休みだったコピーが付きっきりで看病してくれたが、熱は
 次の日の夕方まで下がらなかった。
 コピーに学校や仕事を休ませるわけにはいかない。
 次の日の朝、スミレは精一杯の元気を装って半ば追い出すように心配顔のコピーを
 送り出した。
 しかしその日の孤独は耐え難いものだった。
 誰も手を握ってくれる人がいない。
 ママも、コピーも、ミツ夫も。
 熱で朦朧としているのに、孤独と不安がくっきりと心に刻まれて眠る事すら出来ない。
 コピーが仕事から戻るまで、スミレはずっとパーマンマスクをかぶったまま必死に
 熱と痛みと孤独に耐えていた。
 端から見れば滑稽だったかも知れないが、そうでもしなければどうにかなって
 しまいそうだった。
 
 あの日以来、自分の中のお転婆なパー子は姿を消してしまった。
 代わりに、心の中に潜んでいた、弱い女の子としてのスミレが浮き彫りになった。
 こんな状態では、いくら傷が癒えてもパー子としてミツ夫に会う事は出来ない。
 多分、まともに話す事も出来ないだろう。

 いつもミツ夫にからかわれていたお転婆な自分。何度直そうとして失敗したか。
 そんな疎ましいはずの自分が、どうしようもなく恋しい。
 心のどこを探っても出てきてくれないお転婆パー子。
 ミツ夫と一番普通に話せるのは彼女なのに。

 「何でこんな風になっちゃったんだろう。あたし…。」
 テーブルに突っ伏しながら、スミレは小さくつぶやいた。物憂げにテレビをつける。
 ちょうど、夕方のニュースを流していた。
 パーマン1号と2号が高速道路での事故の処理で大活躍したというニュースを、
 女性キャスターが歯切れの良い口調で簡潔に伝える。
 相変わらず、いや以前にも増して2人は活躍していた。彼らの事をテレビや新聞が
 報じない日はなかった。
 
 もしかしたら、自分なんかいない方がいいのかも知れない。
 あんな小さな事件で怪我をして、お荷物になってしまう自分なんか。

 あの日以来、楽しみにしていたはずのバッジの呼び出し音が怖くなった。
 いつ鳴り出すかとびくびくしていた。
 しかしこの一ヶ月、一度も鳴った事はなかった。

 (もう、忘れられちゃったのかな…)
 そんな考えが頭をよぎるのは、ここしばらく毎日のことだった。
 無論、答えなど出るはずもない。
 だけど、どうしてもコールボタンを押す勇気が湧かない。 
 結局、考えは同じ所をグルグルと空しく堂々巡りするだけだった。

 夕闇が迫る頃。
 入り口の鍵を開ける音がした。
 ほどなく、自分よりも明るく自分よりも元気な自分の声が響く。
 「ただいまあ。あら、なあにスミレちゃん。暗くなってきてるのに電気も
 点けないで。」
 まるで母親のような口調で言ったコピーに、スミレは顔を向けないまま
 機械的な返事を返す。
 「おかえり。今日もお疲れさま…。」
 声の主に視線を向けたコピーは、小さなため息をついた。
 スミレは相変わらずテーブルに突っ伏したまま、ブラウン管の青い光に目を
 向けている。その目が番組の内容を観ていないのは明らかだ。
 「もう!目が悪くなるわよ!」
 そう言ったコピーは部屋の明かりをつけると上着とカバンを置きに隣の部屋へ
 入っていった。
 ここ一ヶ月の間、ずっと起動しっ放しのコピー。
 (何だかママみたいになってきた…。)
 スミレはぼんやりとそんなことを考えた。
 上着を脱いで戻ってきたコピーに目を向けたスミレは、重い腰を上げた。
 「じゃあ、今日の記憶を…」
 物憂げな口調で言ったスミレを観たコピーは肩をすくめると言葉を返した。
 「別にいいと思うわ。昨日とおんなじ、変わりばえのない一日だったし。」
 別にいい、か。そうかもしれない。どうせ昨日も明日も同じだ。今の自分には。
 「そうね、確かに。」
 あっさりとスミレは腰を下ろした。

 「そうそう、スミレちゃん。実は明日、写真集の出版記念イベントがあるの。
 大きな書店でのサイン会ですって。リハビリがてら出てみない?サインして握手
 するだけの簡単な仕事だから、ちょうどいいと思うわ。」
 冷えた麦茶を注いだコップをスミレに渡し、自分も飲みながらコピーが言った。
 「サイン会?」
 顔を向けたスミレは、つぶやくと記憶を辿った。そういえば、ずいぶん前に
 そんな企画があることをマネージャーから聞かされていた。写真集の発売時期が
 なかなか決まらないせいで、すっかり忘れていたのだ。
 「サイン会、か…。」
 コピーがこんな風に自分を仕事に誘ったのは、怪我をして以来初めての事だ。
 彼女なりに気を遣ってくれていたのだろう。
 (そろそろ、せめてアイドルのお仕事くらいしっかりこなさなくっちゃ。)
 そう考えたスミレは、コピーに向き直るとしっかりした口調で言った。
 「わかった、やるわ。いつまでもこんなとこにこもってちゃ、カビが生えちゃう
 からね!」
 そんなスミレの言葉に、コピーも笑顔を返す。
 「そうこなくっちゃ!それでこそ国民的アイドル、星野スミレちゃんよ。
 じゃ、これ明日の細かいスケジュールだから。目を通しといてね。」
 まるでスミレが「やる」というのがわかっていたかのように、コピーは
 スケジュールをすでに持ってきて話しをしていた。ホッチキスで止められた
 3,4枚の紙の束をスミレに渡し、ハミングしながらシャワールームへ向かう。

 (全く、根回しがいいんだから。誰に似たのかしら。)
 そんなことを思いながら、スミレは久々の仕事にちょっとした気持ちの張りを
 覚えていた。
 麦茶を一気に流し込み、気持ちを引き締めて紙をめくったその顔はしっかり
 アイドルとしての自覚を取り戻したように見えた。

====================================

 さわやかに晴れ渡った日曜の朝。
 スミレは久し振りに迎えにきたマネージャーと共に車に揺られていた。
 オデコタッチでこれまでの事は把握しているものの、やはり自分の目で見、
 自分の肌で感じる外の世界は一味違う。
 アイドルの仕事には、もっと早く復帰していればよかった。
 流れる景色を見ながらそんな事を考えているうちに、車は都内でも有数の大型
 書店のガレージに音もなく入っていった。

 控え室の、心地良い空気の緊張。
 久々の感覚を楽しんでいたスミレに、マネージャーの言葉が向けられた。
 「さて、もうじき開場だ。サインと握手は限定100人。ちょっとハード
 かもしれないけど、増えることはないからね。一応、昨日渡しといた名簿に
 もう一度目を通しといて。」
 「名簿?」
 とスミレは問い返した。初めて聞く話だ。
 「あれ、忘れちゃったのかい?今回のサイン会は完全予約制だから、希望者の
 名簿があるんだよ。昨日の昼に渡したじゃないか。」
 そんな話は聞いてなかった。コピーの渡し忘れか、自分の見落としか。
 「ご、ごめんなさい。忘れちゃったみたい…。あの、コピーか何かないかしら。」
 怒った様子もなく、マネージャーは自分のファイルを探った。
 「珍しいね、君が物忘れなんて。まあ、別にそんな重要な物ってわけでもない
 けどね。予約者は全員自分の名前のカードは持ってるからさ。…あ、これだ。」
 そう言ったマネージャーは、2枚の紙を差し出した。
 久々の仕事に手落ちがあってはいけない。急いで目を通そうとしたスミレは、
 1枚目の中ほどにある名前に言葉を失った。
 見間違えようがない。

 【000028/須羽ミツ夫】

 パンクしそうな頭に、だしぬけに一つの記憶が浮かんだ。
 2ヶ月くらい前に3人でパトロールしていた時の事だ。

 「今度の写真集が発売されるときはサイン会があるって噂なんだ。いっつも
 もらい損ねてるから、今回は何が何でも予約券を手に入れてみせるぞ!
 そのためにもう何ヶ月も節約を重ねてお小遣い貯めこんでるんだから!」
 相変わらずスミレの事になると鼻息が荒くなる1号。
 そんな話を鼻で笑って聞き流し、喧嘩になりそうになった事があったのだ。
 あの時は無理だと思って気にも留めなかったのに、まさか本当に予約券を手に
 入れるとは。

 同時に、昨日コピーが取った行動の意味が全て理解できた。

 昨日に限って、記憶のロードをさせなかったのも。
 昨日に限って、それまで口にもしなかった仕事への復帰を自分に勧めたのも。
 全て、この名簿を見たコピーが立てた作戦だったのだ。
 (やってくれたわね、あの子ったら…。)
 スミレはコピーが入っている自分のバッグを恨めしげに睨んだ。
 サイン会が始まるまで、この控え室が無人になることはない。
 まして、開場はもうじきだ。いまさら入れ替わることなんて出来るはずもない。
 観念するしかなさそうだった。
 「さて、そろそろ時間だ、行こうかスミレちゃん。」
 何も知らないマネージャーの声が容赦なくスミレをせき立てる。
 急に動悸が早まったスミレは、かすかなコピーの笑い声を聞いた気がした。

 すでに会場には長蛇の列が出来ていた。
 歓声に応え、簡単な挨拶を済ませたスミレはぎこちない笑顔を浮かべて席に座る。
 通し番号が付いているとは言え、並んでいる順番はバラバラだ。いつミツ夫が
 自分の前に立つのかはわからない。とりあえず最初の一人ではないし、見た
 ところ前の方にはいないようだけれど。

 心の準備をする間もなく、サイン会は始まった。
 明るい笑顔で写真集の見開きににサインを書いて言葉を交わし、握手をする。
 そつなくこなしてはいたが、後ろの席で見守っていたマネージャーは握手を
 終えた人が脇にどくたびにパッと顔を伏せる、スミレの妙な仕種が気になった。
 顔を近付け、小声で訊ねる。
 「ちょっとスミレちゃん、さっきから何やってるんだい?ここから見ると何か
 素振りが怪しいよ。」
 動悸の鎮まらないスミレは肩ごとマネージャーの方を向くと、曖昧な笑みを
 浮かべた。
 「な、何でもないんです。あの、お辞儀の練習してるだけ…」
 支離滅裂な言い訳に自分がヘコりそうになったが、マネージャーと言葉を
 交わしたおかげでスミレの気持ちは少しだけ落ち着いた。
 (ひょっとしたら事件が起きてそっちに行ってるかも知れないわね。)

 そう考えたスミレは何とか気持ちを切り替え、訝しげなマネージャーの顔から
 目を離すと再び正面に向き直った。

 目の前に、本を開いた手があった。
 包丁を使うのが下手な料理好きのような、バンソウコウだらけの手だった。
 かすかな火傷の跡も見て取れた。
 親指と本の間にはさんだ名前のカードに、下手な字が見受けられた。
 須羽 ミツ夫。
 会いたくなくて、そしてとても会いたかった人の名前だ。
 ゆっくりと顔を上げたスミレの目の前に、ミツ夫の笑顔があった。
 口の横に大きなバンソウコウを貼ったミツ夫が、屈託のない笑顔を自分に
 向けていた。
 スミレは、たった今までの自分が信じられないくらいに落ち着いていた。
 笑顔を見せると、静かにミツ夫に話しかける。
 「こんにちは。どうしたの?そんなに傷だらけになって…。」
 話し掛けられたミツ夫はただでさえ崩れた相好をさらに崩して頭を掻いた。
 「え…いやあ、あの、仕事で…じゃなくて、ちょっと転んじゃって。僕って
 平らな地面で転ぶくらいのドジだから。ハハハハハ…。」

 相変わらず、下手だとか言う次元を超えた嘘だ。

 何もかも感じ取れた。そして、確信できた。
 この一ヶ月。
 自分が家にこもっていた間、ミツ夫はひたすら自分の回復を願い、いない分の
 埋め合わせをしようと傷だらけになりながら必死にパーマンとしての活動に
 奔走していたのだ。
 多分、バッジが鳴らなかったのも彼の指示だろう。もしかしたらバードマンに
 さえ連絡を控えさせていたのかも知れない。自分がゆっくり静養できるように。
 不器用で的外れで、そして体を張った気遣いは変わっていなかった。

 こんな生き方だから、いつも面倒で迷惑な事態を生む。
 こんな生き方だから、いつもしなくてもいい苦労をする。
 こんな生き方だから。だから自分はこの人が大好きになったのだ。

 忘れるはずのない当たり前の事が、はっきりと思い出された。

 静かに写真集と名前のカードを受け取ったスミレは、見開きいっぱいにサインを
 大きく描いた。最後に一際大きなハートマークを添える。
 デレっとした顔でそれを見ていたミツ夫は、我に返ったように慌てて右手を
 ズボンでぬぐう。そして、遠慮がちに傷だらけのその手を差し出した。
 スミレも笑顔で手を出す。

 その時。懐かしい音が小さく響いた。
 一ヶ月間、聞くことのなかったパーマンバッジの呼び出し音だ。その音は、
 目の前に立っているミツ夫のズボンのポケットから鳴り響いていた。
 衣服越しなのでさほど音は大きく響いてはいない。しかし、周囲の人間が
 不審の念を抱くには充分な怪しさだった。マネージャーも眉間にしわを寄せて
 さりげなく立ち上がり、ミツ夫を牽制する。
 刺々しい視線にさらされたミツ夫はうろたえ、しどろもどろに言った。
 「あ、あの、何でもないんです。ホント。別に変なもの持ってるわけじゃ…
 す、すみません。失礼しまあす!」
 しかられた子供のように駆け出そうとしたミツ夫は、ふと立ち止まるとスミレの
 方をもう一度振り返り、笑顔を見せると写真集をかざして言った。
 「スミレちゃん、ありがとう!これからもがんばってね!!」
 踵を返したミツ夫は皆に睨まれながら、一目散に走っていった。

 端から見れば、誰の目にもイタズラをとがめられて逃げ出す子供の背中だった。
 しかし、彼の行く先には、間違いなく助けを求める人がいる。
 小さいけれど、とっても大きな背中だった。
 見送ったスミレは、心に小さな灯がともったような感触を覚えていた。
 バッジの音に懐かしさを感じた瞬間に確信した。
 鳴るのが怖かったんじゃない。
 ずっと、永遠に鳴らなくなるのが怖かったんだ。
 そして、何気ないミツ夫の激励の言葉。
 自分の中のお転婆パー子は、初めからずっとここにいた。
 眠りを醒まし、軽く背中を押してくれるあの言葉を待っていたんだ。
 あと必要な物は、ただ一つ。
 中途半端に伸ばしたままの右手を、スミレはじっと見つめていた。
 アクシデントに動揺したのだろうか。声をかけようとしたマネージャーは、
 不意に立ち上がったスミレの肩に危うくぶつかりそうになった。
 「あの、ごめんなさい。すぐ戻りますから!」
 言うが早いか、スミレは控え室のほうに駆け出していった。
 (なんだ、トイレを我慢してたのか。それであんな妙な素振りを。)
 恐ろしく的外れな想像で一人納得したマネージャーは、ざわめく行列に
 笑顔で手を振り、すぐに戻るから心配しないで欲しい旨を大声で伝えた。

 控え室に飛び込んだスミレはバッグを開け、コピーロボットを取り出した。
 そのときになって初めて気付く。
 またしてもコピーに見透かされていたことを。
 「代わってもらう事もないだろうから、今日は家でゆっくり休んでて。」
 それはスミレなりのねぎらいのつもりだったが、何故かコピーは自分も
 連れて行け、と言って頑として譲らなかった。
 別に断る理由もなかったから深く考えずにロボットに戻して連れて来たが、
 こうなることをコピーは初めから予想していたに違いなかった。
 (まったく、ホントに根回しがいいんだから!)
 スミレは、コピーの頭の額に当たる部分を軽く指ではじき、ボタンを押した。
 外見を形成し、意識を統一して目を開けたコピーはにっこりと微笑んだ。
 既にパー着を終えた「パー子」が、目の前で腕組みして自分を睨んでいた。
 「行くの?」
 少し首をかしげながらコピーが訊ねる。
 「決まってんでしょ!後は頼んだわよ!」
 凄みを利かせた声で言うと、パー子はコピーに背を向け、窓に手を掛けた。
 ふと振り返り、言い放つ。
 「それから、帰ったらおぼえてらっしゃい。とっちめてあげるからね!」
 そのままパー子は一気に飛び出した。小さな声で、コピーに感謝の言葉を
 残して。
 見送ったコピーの笑顔は優しかった。すでに小さくなったパー子の姿を瞳に
 映しながら、そっとつぶやく。
 「ホントに世話が焼けるんだから。つくづくコピーって損な役回りね。」
 でも、だからこそコピーって誇らしい。
 踵を返したコピーは扉を開け、軽やかな足取りで会場へと戻っていった。

====================================

 一気に高度を取ったパー子は周囲を見回す。
 「いた!」
 どうやらパー着は自分の方が早かったらしい。まさに今、1号がビルの陰から
 飛び立ったところだった。写真集の隠し場所を探すのに手間取ったのだろう。
 バッジを口元に運び、場所を確認しているらしい1号に突進したパー子は
 抱きついて羽交い絞めにした。
 「お久し振り!!」
 強烈なタックルに体勢を崩した1号は、驚いて大声を上げた。
 「ぱ、パー子!パー子なのかい!?」
 よほど動揺したのだろう。1号は手にしたバッジを落としてしまった。
 それを器用に左手でキャッチしたパー子は、そのままバッジに大声で話しかける。
 「ブービー、お久し振り!長いこと休んじゃってゴメンね!今日からうんと
 働かせてもらうわよ!」
 バッジからは、ブービーの興奮したような歓声が響いてきた。
 「おい、パー子!傷のほうはホントに大丈夫なのかい?」
 「大丈夫に決まってんでしょ!いつの話してんのよ。ほらこの通り!」
 そう言うと、パー子は1号に強烈なヘッドロックをかけた。
 そのままの姿勢で、ミツ夫の体のぬくもりをしばし確かめる。
 「痛ててててて!わかった、わかったって!」
 ようやく解放されたミツ夫は首をさすりながら言った。
 「まったく。今度は僕をケガ人にするつもりかい?力が有り余ってるみたい
 だな。」
 「あら、ゴメンなさい。実はそうなの。いいわ、どんな悪党でも任せて!
 まとめて首根っこ へし折ってさしあげるから。」
 「首…」
 もう一度首をさすり、呆れたように1号がつぶやく。
 「今度にしてくれよ。今日の事件は被災地の人命救助だから。とにかく、
 ブービーが待ってる。急ごう!」
 「じゃ、パータッチで行きましょう!」
 そう言ったパー子は、1号の手を取った。
 しばしの沈黙のあと、今度こそ呆れたと言うように1号が低くつぶやいた。
 「しっかりしてくれよパー子。これじゃパータッチじゃなくて、握手だよ。
 右手同士つないでどうすんだよ!」
 黙って1号の顔を見ていたパー子は、笑顔を見せるとわざとらしく舌を出して
 手を離した。
 「あらあらホント。ゴメンね。まだカンが戻ってないもんだから…。」
 そう言って改めて左手を伸ばしたパー子に、ミツ夫は少し心配げな言葉をかける。
 「ホントに大丈夫か?」
 もう一度笑顔を見せたパー子は、ミツ夫の手を取ると朗らかに言った。
 「もう大丈夫。カンペキ!」
 (たった今、あなたの手から勇気をもらったから。)
 心の中でそうつぶやいたパー子は、1号を急き立てた。
 「ほら、早く!どっちなの!」
 そんなパー子のお転婆ぶりに、1号もようやく笑顔を見せた。
 「よーし、飛ばすぞ!覚悟しとけよパー子!」

 2人は、同時に叫んで晴れ渡った空を矢のように切り裂いて飛んだ。
 思いは一つ。人を助けるために。
 「パワッチ!!」

=================【完】================

Copyright(C) 2000-2004 おっけっ!! All Rights Reservd.
広告 通販 無料 チャットレディ ブログ blog