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| ■ 北へ |
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水平線はどこまでも続いているように思えた。 「このまま真っ直ぐに進めばどこにつくのだろう?」 少女は冷たい潮風に奪われないように帽子を深く被りなおした。諦めた潮風は肩まで伸びた髪をやさしく撫でたが、少女は気づかずに遠く水平線を見つめたままだった。 少女の隣では一組の老夫婦が水平線を見ながら語り合っていた。 「この海の果てにはなにがあるんですかねえ?あなた」 「氷にきまっとるだろ。この先は北極じゃからな」 「おや、そうですか。ペンギンに会えるとうれしいですね」 「そうじゃな。楽しみじゃな」 老夫婦は楽しそうに微笑みあった。 (北極にペンギンはいないはずよね) 少女は長年連れ添った夫婦の何気ない自然な会話に聞き耳をたてた。 (もう、何十年も一緒に暮らしてきたんだろうな。楽しいことも、悲しいことも一緒に分かち合って・・・) 一人ではなく二人でいる素晴らしさ。少女は自分の傍らにいてほしい人のことを思ったが、その人は遠い星の世界に行ったきりだった。 「お写真、お撮りしましょうか?」 突然の申し出に老夫婦は驚いたようだったが、少女のやさしい笑顔をみると二人は顔を見合わせて微笑んだ。 「あなたにシャッターを押して頂こうと思っていたんですよ。お嬢さん」 「はい、よろこんで」 少女はカメラを受け取るとファインダーをのぞき込んだ。水平線をバックに肩を寄せ合う老夫婦はとても素敵だった。 「あなた、日本人?何処かで出会ったような気がするけど・・・」 カメラを受け取りながら老婦人は尋ねた。 「わしも、そう思ったんじゃ。テレビか何かで観たような・・・」 しばらく、考えていた二人は声をあげた。 「そう、思い出したわ。あの素敵なミュージカルにでていた女優さんにそっくりよ」 「確か、スミレホシノだったかしら?」 英国でのスミレ出演のミュージカルは大成功だった。厳しい論評で有名な評論家も東洋から来た一人の少女を絶賛し、いつしかスミレは英国で最も有名な日本人になっていた。 そして、英国国内ツアーを終えたばかりなのに、来月からはフランス、スペイン、ドイツといったヨーロッパツアーがひかえているのである。 「スミレ、ヨーロッパツアーのリハーサル開始まで二十日間の休暇があるけど、どうするんだい?」 ミュージカルのプロデューサーが尋ねた。 「まだ、なにも考えていないんです。今日まで夢中でしたから」 「そうだな。君は私の想像を遙かに超えていたよ。ここまで英国で君が受け入れられるとは思わなかった。大陸での観客、メディアの反応が楽しみだよ」 自信ありげにプロデューサーは言った。 「おっと、話がそれるところだった。休暇には日本に帰るのかい?帰らないのならいい話があるんだが・・・」 「今回は日本に帰らないつもりですが・・・」 スミレは少し首をかしげながら答えた。 「実は、北欧を客船で巡る船旅のチケットがあるんだが私の代わりに行かないかい?」 「えっ、北欧ですか?」 「そう、フィヨルドを越えて北極圏にも行くんだよ。本当は次のミュージカルの脚本を船の中で書こうと予約していたんだが、あまりにも君のミュージカルの招聘が多くてね。その調整をこの休暇中にしなければならないんだ。チケットの払い戻しも出来ないしね」 プロデューサーは少し残念そうに言った。 「いいんですか?本当に・・」 「君の頑張りのご褒美だと思ってくれればうれしいよ」 「ありがとうございます。行ってみたかったんですよ。北欧と北極圏」 スミレは無意識のうちにシャツの下のロケットを左手で確かめていた。 船旅が始まって7日目、スミレはのんびりと旅を楽しんでいた。船は北欧の港町に停泊しながら北極圏をめざし北上していた。プロデューサーの予約していた部屋はスイートで食事も部屋でとることができた。客層は年配の夫婦が大半でスミレとの会話を楽しみにしていたし、スミレも彼らの話を聴くのが楽しみだった。 「お嬢さんは一人旅かね?」 老人が尋ねた。 「はい、初めての北極圏への旅。すごく楽しみにしていたんですよ」 「そうね。私たちも楽しみだったのよ。孫たちがプレゼントしてくれたの、この船旅を」 「わしらは結婚して今年で50年なるんじゃ。そのお祝いじゃよ」 老人が自慢げに言うと、隣で老婦人が頬をかすかに赤らめた。 「もう、50年ですねえ。あなた」 「まだまだ、つぎは60年じゃ」 老人は力強く言った。 「そうですね。60年記念はスペースシャトルで宇宙かもしれませんね」 「そうじゃ。体力つけんとな。ワッハハハ」 スミレの一言に老夫婦は楽しそうに笑っていた。 飾らないこの老夫婦にスミレは好意を持ったが、それを察したのか老婦人が言った。 「本当はあなたも大切な人と来たかったんでしょうね」 いきなり、核心をつかれたスミレは少し驚いたが素直に答えた。 「はい、でも彼は遠い世界にいるんです」 「そうなの。でも必ず会えるわよ。私たちも結婚まもない頃に戦争で会えない時期があったのよ」 「えっ、そうなんですか」 「でも、私は彼の必ず帰ってくるという言葉を信じて待ったの」 「信じて・・・」 「そう、あなたも彼を信じているのが私には分かるわ。彼は帰ってくると言ったんでしょ?」 「はい、言いました」 スミレの一言に老夫婦は黙って頷いた。人生経験豊富な彼らはスミレの気持ちが揺るぎないものであることが分かったのだ。そして、そんなスミレが好きになった人のことも・・ 「でも、いつになるのか・・・」 さびしそうなスミレに老夫婦は言った。 「今度の旅はあんたにとって素敵な思い出になるじゃろう」 「そうね。私もそんな気がするわ」 「お二人に出会えたのが素敵な思い出ですよ」 老夫婦はスミレと握手すると船室に戻っていった。 北極圏では緯度にもよるが夏に90日ほどの白夜がおとずれる。そして少しづつ夜が長くなりオーロラが夜空を舞う頃、短い夏は終わりを告げるのである。その頃には真冬のように雪が舞い、ダイヤモンドダストがきらめくのも珍しくなかった。 今日、スミレたちの乗った船は北極圏を越えた。船内アナウンスがそれを告げると歓声が船内に沸き起こった。 北極圏を越える。だれもが冒険家、探検家になれる不思議な響きがある。それが船であろうと代わりはなく、スミレも自分が北極圏にいることに少し興奮していた。 ベッドに横になってもなかなか眠ることができず、カーテンから漏れてくる白夜の光をぼんやり眺めていたが、しばらくするとその光がチラチラと不思議な動きをしているのに気がついた。カーテンを開けても窓が曇っていて外の様子を知ることは出来ないが、昨日までの白夜と違うことは明らかだった。スミレは着替えるとコートを羽織って甲板に続く通路にでた。なぜか、抜き足差し足で歩く自分がおかしかったが、深夜であり誰とも顔を合わすことはなかった。 今日まで何度も通った通路が今日に限ってやけに長く感じた。スミレは左手で胸のロケットを確かめると重い扉に手をかけたが、その時ロケットが淡い光を放っていることには気づかなかった。 甲板に出たスミレは驚きの声を上げた。周りは白一色の光の世界だったのである。遠近感はなく体が宙に浮いているような気がする。目の前にあるはずの自分の手のひらの輪郭もはっきりせず、一歩踏み出すと扉は跡形もなく消えてしまった。スミレはゆっくりと船首に向かって歩いたが、ここが甲板の上であることは小さく響く自分の足音だけが教えてくれた。 ホワイトアウトである。しかし、雪山のホワイトアウトとは異なり、北極圏の海上ではダイヤモンドダストと霧が合わさり不思議な世界を作り出す。乱反射した光によって船は姿を消し甲板と空と海の区別がつかなくなるのである。そして、なにより不思議なのはその明るさである。白夜の太陽は沈まないとはいえ明らかに昼間の太陽とは異なる。その光は月の光にもにた冷たさと共に不思議な存在感がある。手で触れる事が出来る光とでもいうのだろうか・・・ 光のなかでスミレは船首の手すりを握る手に力をいれた。怖くはなかったが何かが起こりそうな予感がしたのである。その時、スミレは自分に近づいてくる足音に気がついた。 甲板は見えないが空耳ではなく、その足音はどこかで聴いた懐かしい響きだった。 やがて、足音はスミレのすぐ横で止まったが、人影はなく光の世界だけがあった。 スミレは手の届くところに人の気配を感じたが声をかける事は出来なかった。しかし、相手もスミレの息づかいに気がついているはずである。 (この気持ちはなんだろう?) スミレは思った。隣にいる人物が何者なのか分からなかったが、こうして一緒にいることがごく自然に思えたのだ。ずっと昔もそうだったように・・・ しばらくの沈黙が流れ白一色の世界は夕焼けの淡いピンク色から橙色の世界に変化していった。やがて短い夜の訪れとともに夜空に星が瞬き始め、それとともにぼんやりと人影がスミレの視界の隅に現れた。スミレはその人物を直視することができず、視線を夜空に向けるとプロキシマを探した。 (あの星座の一等星から左へ、1,2,3・・・) 「そう、4番目だよ。パー子」 人影がスミレの方を向き直ると言った。 夜空ではオーロラが舞い始めていた。一本の緑色の光の筋が広がったかと思うと大きく波打ち赤、紫、黄、青といった複雑な色が夜空を舞い踊った。やがてオーロラはプロキシマの周囲に集まると光の大爆発を起こした。ブレイクアウトである。 スミレたちの周囲はダイヤモンドダストの名残にオーロラの光が反射して七色に輝いていた。 「みつ夫さん・・・」 スミレの唇が会いたかった人の名を呼んだ。 キラキラ輝く光の中に懐かしい顔がしだいにはっきりしてきた。 背丈はスミレよりも高かったが、はにかんだ表情は昔のままだった。見慣れた半ズボンではなく長ズボンだったが・・・ 「スミレちゃん・・パー子・・・ただいま」 「おかえりなさい。でも留学はもっと長期のはずじゃ・・」 「いや、休暇なんだ。はじめての連続した・・・でも、ドジしちゃって時間がないんだ」 ドジという言葉を聞いてスミレは微笑んだ。自分がパーマンであった時が懐かしくよみがえってくる。(このドジ、ドジ)なんど口にしたことだろう。その後のおきまりのケンカ・・ 勝つのはいつも自分だったが・・・・ 「今日のオーロラすごいだろ。一昨日、太陽の表面で大爆発があったんだ。ぼくはちょうどその時太陽に一番近い位置を円盤で飛んでいたんだけど、太陽風の嵐に巻き込まれて吹き飛ばされちゃったんだよ」 「大丈夫なの?」 「ぼくはぴんぴんしているよ。でも、木星まで吹き飛ばされて円盤が故障しちゃったんだ。 おかげで、やっと今、地球についたんだ」 「なぜ、私がここにいるって分かったの?」 「君のロケットが発信している特殊な波をたどってきたんだ。発信するとき淡く光るんだけど気がつかなかった?」 みつ夫はスミレの胸を指さしながら言った。 「休暇って何日間なの、ゆっくりしていける?」 「本当は3日だけど修理に手間取って・・・あと2時間しか地球にいられない」 みつ夫が申し訳なさそうに言った。 「たった2時間!!せっかくの休暇なのにドジドジ」 怒るスミレにみつ夫は楽しそうに笑った 「君はやっぱりお転婆パー子だよ」 「なんですって」 我に返ったスミレはみつ夫と目が合うと言った。 「相変わらずドジなんだから」 「君こそ相変わらずだよ」 みつ夫はプロキシマを指さすとバード星の話を始めた。 次の日は北極圏にはめずらしく素晴らしい青空が広がっていた。流氷の上でアザラシが遊び、海鳥たちが船の上を旋回していた。 「おはよう、お嬢さん」 老夫婦が声をかけてきた。 「船首はあなたの特等席ね」 「おはようございます。よく眠れましたか?」 スミレは晴れ晴れとした表情だった。 「ええ、昨日の夜はすごいオーロラだったみたいね。ホワイトアウトで海に落ちると危険だから窓からのぞいただけですけどね」 「私はここで見ましたよ。素敵な一夜でした」 スミレは昨夜の出来事が夢のような気がしてきた。しかし胸のロケットが夢でないことを物語っていた。 「あら、あなた今日はいつもに増して素敵よ。いい顔してるわ」 「そうですか?」 「そうじゃな、昨日までのあんたは少し疲れているよう思ったんじゃ。でも、今日は充電したての元気いっぱいの顔じゃのう」 「何か、いいことあったのかしら?」 「はい、とても」 老夫婦はそれ以上尋ねなかったが、素敵な思い出が昨夜スミレに訪れた事が分かったようだった。 「次に、帰ってくるときは・・・・」 スミレは大きく背伸びをした。 真っ直ぐに伸びた両手は青空に手が届きそうだった。4人で空を飛んでいたときのように・・・・・ 「パー子、スミレちゃん。1つ謝らなくちゃいけないことがある」 再び、バード星に旅立とうとするみつ夫が言った。 「謝ること?」 みつ夫の真剣な顔にスミレは心配になった。 (もしかして、もう帰ってこれないとか・・) 「実は、プロキシマなんだけど一等星から3つめって言ってなかったけ」 「そう、なのに昨日の夜、あなた4つめと言ってたわよね・・・」 「もしかして・・」 みつ夫は両手を会わせて小さくなった。 「コピーのやつがぼくに間違えて教えたんだよ」 「それじゃあ、私は今まで何年間もプロキシマの隣の星に話しかけていたわけ」 「そういうことになるかな・・・」 「もう、あなたって人は」 パンチが飛んでくると思ったみつ夫は頭をかばった。しかし、いつまでもパンチは飛んでこない。恐る恐る顔を上げたみつ夫は今日出会ってから初めてスミレの涙を見た。 「ごめん、そんなにショックだった?プロキシマが隣の星だったこと」 「鈍感!!」 スミレはみつ夫の肩に額をあずけた。 「北へ」 完 |
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